7、つのる思い-1

文字数 1,593文字

 台所で向かい合ってノートを広げる。
 カリカリと、ふたりがシャーペンを走らせる音が、ときおり外の風にかき消される。
 英里が夕食の後片付けをしていると、受験生の友彦が参考書を持って下りてきて、さっさと英里を手伝ってしまう。英里がいくら「いい」と断っても、「ふたりでやれば早いから」と聞かない。
 英里が北海道へやってきて、もうじき一ヶ月だ。
 十一月なのに、すでに暖房がないといられない寒さになった。屋内は暖かいが、学校の行き帰りはかなり寒い。持ってきた衣類では足りないので、どこかで買いにいかないと。
 もうすぐ雪が降るらしい。日が暮れるのもかなり早い。
 向かいで、友彦が「うー」と唸って伸びをした。
「疲れた?」
 英里はマグカップを友彦のノートのそばまで押しやった。
「いや。まだ」
 英里にうながされ、友彦は素直にマグカップを手に取った。
 食器を片付け終えたとき、英里が淹れた。学校帰りにスーパーへ寄って買ってきたハーブティーだ。中味はよく分からないが、とにかくカフェインの入っていないもの……ということで選んだ黄色いお茶だ。
 英里の眠りはよくない。もともとグッスリ派ではなかったが、ここへ来てダメだ。壁を挟んですぐそこに、友彦の身体があると思うと眠れない。
 そのせいか、今週は何度も授業中居眠りしてしまいそうだった。
 転校したてで、もうしばらくは猫をかぶっていたいのに。
 マグカップを握る友彦の指は、少し白くなっている。
 英里の目はついそれを追ってしまう。
 友彦の様子が少しおかしい。
 叔父も叔母も気づかないほどの微かな変化だが、英里はそれを敏感に感じ取っていた。友彦が、自分との間に置いた小さな距離を、痛いほどに感じてしまった。
 帰り道、英里の方を見なかった。何てことのない会話はあるのに、狭い歩道を歩いていても、いつものように肩がぶつかり合うこともなかった。
 その微妙な距離に耐えきれず、英里は「買いものに寄る」とスーパーの前で友彦と別れた。一ヶ月、ずっと英里の世話をしてくれて、さすがの友彦も飽きてきたのかと遠慮したのだ。
 解放してやった友彦は、英里が永井家に帰り着いたとき、ゲームもせず自室に閉じこもっていた。
 夕食のテーブルでも言葉少なくムスッとしていて、自分の洗いもの当番をサッサと済ませた。
 いつものように、台所で参考書を開きはしたが、いつものじゃれつくようなやり取りはなくて、無言で問題集を解いていく。
 英里はそんな友彦の邪魔をできず、質問の振りをして構いにいくこともしなかった。
 嫌われた、とは感じない。
 邪険にされている訳でもない。
 だが――。
 友彦がマグカップのお茶をぐいと飲み干した。友彦の咽がごくりと動く。英里の視線はそんな男の身体に吸い寄せられる。
 コトリと音を立てて、友彦はカップをテーブルに置いた。部屋は寒くない。その指が白いのは、多分、友彦が緊張しているからだ。何を意識している?
(僕……?)
 そうだったらどんなにいいか。
 この間の夜、友彦の部屋で、数学を聞きに行った英里に、友彦がどんなに優しい声だったか。
 英里は思い出す。
 甘いと言ってもいい声だった。
 ひとりベッドで思い出すと、身体の芯がトロリと熱くなるような声だ。 
 嫌いな相手に、あんな声は出ない。
 嫌いじゃないとすれば。
 友彦は、もしかして、英里の願い通りに――。
 骨張った友彦の指。触れたい。甘くかじって、舌でペロリと撫でてみたい。
 友彦は、何かを強く意識している。
(ダメだ……)
 英里は立ち上がった。
「僕、先にお風呂入るね」
 よからぬ妄想を、この至近距離で繰り広げてしまったら。
 言ってはいけない言葉が口から出る。
 友彦の動きが止まった。
「……どうぞ」
 かすれた声で友彦は言った。
 英里は自分の勉強道具をまとめ、着替えを取りに自分の部屋へ上がる。
 ふたりとも、妙にギクシャクした感じで別れた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み