6、悪夢-2

文字数 1,056文字

 そこからのことは、ドタバタ喜劇そのままだった。
 まず英里は高校からもひとり暮らしのワンルームからも遠い、乗り換えふたつの自宅に連れ戻された。携帯電話を取り上げられ、誰とも連絡を取れなくなった。
 綾子が何でも相談している、弁護士だか秘書だかよく知らない、柴田という男があちらの援軍に加わった。
 いつも不在の父が、何かあれば「自分の代わりに」とこの男を家庭に派遣してくる。
 綾子は柴田とふたりがかりで、昼夜英里に尋問を繰り返した。
「あの男とどこで知り合ったの?」
「自宅が学校から遠すぎるというのは嘘だったの?」
「誰か付き合ってるひとはいるの?」
「学校へ行かなくなったのは何故なの?」
「学校へ行かずに毎日どこで何をしてるの?」
 些末なことばかりうんざりするほど毎日訊かれたが、英里にもどう答えてよいか分からなかった。
 訊かれたことは、どれもどうでもいいことで、改めて考えたこともないようなことばかりだ。
 綾子と柴田が答えの引き出せない尋問に疲れ倦いた頃。
 綾子は英里を遠くへやることに決めた。
 被害に遭うのは、いつも綾子の妹、暢恵だ。
 昔から、柴田が出張ってくるのはいつも、英里の父、蓮見信里が綾子と揉めたとき。ギクシャクした仮面夫婦に何かあると、柴田は(多分父が)綾子に「どこかで息抜きしてこい」と旅費を渡す。
 そのたびに、ワガママなくせに独りでいられない綾子は、自分の妹のところへ身を寄せた。息子である小さな英里を連れて。
 暢恵と睦男と友彦の三人で暮らすこじんまりした家に母子が転がりこむと、いつも一、二週間の長逗留となった。
 小さな従弟が可愛くてしかたない友彦は、毎回大喜びして英里を連れ回した。しーんとした冷たい家庭で、普段言葉の少ない英里も、永井家に来たときだけは子供らしく笑い、おしゃべりした。北海道の田舎に生まれた姉妹は、普通の仲のよい姉妹のように、並んで子供たちを見守ったのだ。
 綾子は、英里がことをしでかしても、同じ方法を採った。ただし今度は、英里だけが北へ飛ぶ。
 このまま親許に、東京に置いておくと、誰が何を見て、どんな噂をされるか分からないからと。
 綾子は冷たくそう言った。
 この世で何より大切な、彼女の世間体を守るために。

 新しい、何のデータも入っていない携帯電話と、飛行機の片道チケットを手渡された日。
 本当に知られてはいけないひとつのことは、守り通せた。
 遙か北の流刑地へ向けて、どんより暗い空の下を移動する旅程。
 ささやかな達成感が英里の胸の奥に(またた)いて、電車が新宿を過ぎる辺りで消えた。

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