8、ラベンダーの夕暮れ-6

文字数 973文字

 ここはどこだろう。
 記憶にあるような、ないような荒れた道。歩くと砂利の音がする。
 見たことのない景色は東京ではない。なぜなら空が広いから。
 建物のない広い土地は風通しがよくて肌寒い。
 どこにいるのか、点々とまばらな建物があるほかは、うち捨てられたような空き地が広がり、雑草が高く多い茂る。
(…………)
 英里はふと振り返る。自分の名を呼ばれたような気がして。
 ふわりと頬に春の風が吹いた。
 友彦が、いた。
 英里を見下ろして、笑っている。いつもの優しい気配で、英里を見て嬉しそうに笑っている。
(友彦兄さん……)
 英里も嬉しくなって優しい従兄に手を伸ばす。
 友彦の温かい身体に触れた途端、黄色いタンポポが一斉に揺れ、漂い出た白い綿毛で視界がいっぱいになった。
 タンポポの王さまのように、友彦の息づかいに合わせ、タンポポが揺れ綿毛が舞う。友彦の息づかいが近くなる。ふたりの身体が近づいて。
 友彦は何と言ったろうか。
 友彦はふうわりと英里の身体を受け止めてくれる。そっと腕を回してくれる。英里が待っていた友彦の胸に、英里は抱き止められていた。
 体温が上がったような、浮き立つような初めての感覚。
(……そうか、これが)
 幸せ、だ。
 友彦は優しく微笑んだまま、英里の顔を深くのぞき込んだ。そのまま顔は近づいてきて。
(――――!)
 唇が触れた。
 友彦はそっと英里にキスしてくれていた。 
 英里は嬉しくて嬉しくて、そのまま息が止まってしまう。
 大好きな王子さま。
(……そうか……友彦さんだったんだね……)
 何か大事な記憶を、思い出したような。
 唇が離れ、英里はもっとよく思い出そうと友彦を見上げ――。
 パタン……とドアが閉まる音がした。
 英里はそこで目を覚ました。
 永井家のソファの上に英里はいた。あのまま寝入ってしまったようだ。
「友彦兄さん……」
 英里は小さく呟いた。指で唇に触れてみる。キスされた感触。春の風のように暖かな、夢というにはあまりにリアルだ。
(まさか……本当に……)
 夢だ。
 友彦を恋するあまり見てしまった夢だ。
 ゆっくり身を起こすと、胸から見慣れたジャケットが落ちた。オレンジ色の友彦のジャケットだ。わずかに友彦の匂いがした。いつもこの背を追って英里は歩く。触れたいのに触れられない友彦の背中。
 英里は膝をかかえ、友彦のジャケットを抱きしめた。
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