3、当番-4

文字数 2,879文字

 終業のチャイムが鳴り、担任が出ていって、友彦が顔を出した。
「よお」
「友兄」
 英里は飴のように甘いその名を口の中で転がした。
 前の席の木下が友彦に笑顔を向けた。
「永井さん、今日、部に橋詰先輩が戻ってきますよ」
「へ? 『戻る』って?」
 木下は呆れたようにため息をついた。
「『戻るって?』って……。お土産を持って来てくれるって。同じ二年の立花さんのとこに、連絡が入ったらしいです」
「『土産』? 橋詰さんって、どっか行ってたっけ?」
「これだよ」
 木下は頭を抱えた。
「ホント永井さんって、ひとに興味ないすよね。語学留学してたんですよ、橋詰さん。ニュージーランドに、三ヶ月間」
「ああ……」
 友彦はようやく合点がいったとばかりにうなずいた。
 この流れだと、友彦は引退した部活に顔を出すだろう。英里は終わるまで待っていることにした。
「あ……じゃあ僕、図書室行ってようかな」
「何で」
 立ち上がった英里の二の腕を、友彦がそっとつかんだ。木下も笑って英里を誘った。
「蓮見もさ、イヤじゃなかったら化学室来いよ。見学してけ、見学」
 面倒だし気が引けるし、正直かなり迷ったが、英里は彼らと一緒に行ってみることにした。家族の前では見せない友彦のほかの顔を見てみたい。
「こんちゃーす」
 木下が明るい声で化学室の引き戸を開けた。実験用の大きな机をぐるりと囲む部員の視線が、一斉に戸口に集中する。
「あー、永井さんだー」
「永井さん、橋詰さんがお土産持って来てくれましたよー」
 一年と二年の部員たちが、口々に友彦に声を掛ける。友彦は慕われているようだ。
 引退後の友彦の次に、部員たちの視線は、見たことのない英里に注がれる。
 木下が説明した。
「これ、ウチのクラスの転校生。蓮見君」
 英里は「蓮見英里です」と小さく言って頭を下げた。
「どこから来たの?」
「入部希望ですか?」
「木下君みたく、理系志望?」
 転校生はもの珍しいと見え、部員たちは口々に質問した。木下は彼ら彼女らから庇うようにして、英里を空いた椅子に座らせた。
「はいはいはい、今日はこのコは見学だから。根掘り葉掘り質問しないで。怖がってますからね」
 英里は「別に怖がってなんか」と口の中でもごもご言ったが、自分のことを話すのは好きじゃない。おとなしく木下の背に隠れるようにして椅子へかけた。
 奥の扉が開いて、顧問と一緒にひとりの女生徒が出てきた。
「あ! 永井先輩」
 女生徒は友彦を見て嬉しそうな声を上げた。
「おー、橋詰さん、留学お疲れさま」
 覚えてもいなかったくせに……的なため息を、木下が咽の奥に呑み込む音がした。そのまま出したらさすがに彼女に失礼だろう。
「どのくらい行ってたんだっけ? 語学留学?」
 友彦は、机の上に広げられたカラフルな包みを見て訊いた。多分これがお土産だろう。英里はそちらに目をやった。英語でチョコレートがけの乾燥パインと書いてある。
「いえ……『留学』ってほどじゃ……。六月終わりから九月初めまで、向こうの冬休み期間に空き校舎を利用して受け入れてる、外国人向けのスクールで」
 橋詰と呼ばれたその女生徒は、「そのあと、せっかくだからいろいろと回って……」とはにかみながら付け加えた。交換留学などと違い、単位にならないカリキュラムに参加するなんて、相当学力に自信があるのだろう。
 橋詰は隣の机から椅子をひとつ持ってきて、二年生の女子部員と並んで座った。
 橋詰の後ろから、白衣の中年女性が出てきて言った。
「せっかくだから、留学希望のひとがいたら、橋詰さんの話を聞いておくといいよ」
 顧問の化学教師だ。彼女は部員を見渡して、英里の顔で視線を止めた。
「あれ? 新顔だね。一年生?」
 木下がマネジャーよろしく紹介の労を執ってくれる。
「先生、このコはウチのクラスの転校生。蓮見君」
「蓮見です……」
 目立つのは好きじゃないが、英里が転校生としてここにいるのは事実だ。うんざりしながら英里は小さくなった。
「今日は俺に付き合って待っててくれてるだけだから。お前らちょっかい出すなよ」
 友彦が部員たちにそう言って、英里が浅くかけていた椅子にどんと尻を載せた。上半身が密着する。
 何の警戒もなく、小学生のように平気でくっついてくる友彦の体温に、だが英里は平静ではいられない。嬉しい気持ちを表さないよう、細心の注意を払う。
 部員のひとりが無邪気に尋ねた。
「永井さん、転校生くんと何でそんな仲いいんですか?」
 英里はドキッとして顔を上げた。
 英里の顔のすぐ横で、友彦が嬉しそうに笑って言った。
「俺たち一緒に住んでるから」
「ええっ」
 部員たちがどよめく。
 言葉足らずの友彦に呆れ、木下が補足した。
従兄弟(いとこ)同士なんだって。蓮見、永井さん家に下宿してるんだよな」
 木下のフォローに、英里はやっとの思いで「……うん」とだけ返事をした。その風情が愛らしかったようで、女子生徒からは「キャー」と響声が上がる。
「何だお前ら。俺にはそんな『キャー』なんて、一度も言ったことないクセに」
 友彦が端から部員を指差していく。女子たちはきゃっきゃと笑い声を上げる。室温が微妙に上がった。
 そんな中。
 妙に冷たい波動を感じた。英里は波動のやってきた方向をチラとうかがった。
 橋詰だった。 
 橋詰は睨むように英里を見据えていたが、英里がそれに気づいた瞬間、わざとらしい笑顔にすり替えた。
「いいですね、先輩。仲良しの従弟さんがいらしたんですね。どちらから?」
「おー、いいだろう。東京から来たんだぜ、すっごいハイレベルの難関校を蹴って。カッコいいだろ」
 友彦は手放しで英里を褒める。英里は身をすくめた。橋詰はじっとりとした視線をそらさない。
「それはそれは、従弟さん、優秀なんですね!」
 居心地の悪さに英里は椅子の上で身じろぎした。肩が友彦にぐいと当たる。友彦とシェアして座る椅子から落ちてしまいそうだ。
 友彦はそんな英里に気づいて、英里の腰に腕を回した。
「落ちんなよ」
「うん……」
 英里の心拍がまた跳ね上がる。
 橋詰の目が黄色く光るのを英里は見た。
 木下はそんな英里と橋詰の空中戦に気づいているのかいないのか、英里たちを解放してくれた。
「さあさあ、可愛い後輩の顔も見れたし、受験生はそろそろ帰りましょうか。ね? 永井さん。あなたの転校生は連れてっちゃっていいですから」 
 そんな言われ方されると恥ずかしい。英里の頬が熱くなる。
 木下の言葉に、友彦はさっくりと立ち上がった。
「おう、そうだな。じゃ帰るわ」
「えー」と残念そうな声が上がる。友彦は英里の背をポンと叩いた。
「行こうか」
「あ……うん」
 英里は慌てて足下に置いていたカバンのひもを握りしめた。
「じゃあな。また来るわ」
「はーい、先輩も、受験勉強がんばってくださいね」
「うるさいわ」
 友彦が後輩からの茶々をかわしながら部室を出ていく。英里は「お邪魔しました」と小声で言って友彦の後に続く。途中木下と目が合った。
(君のおかげで、助かった……)
 一瞬の目配せに、英里は感謝の気持ちを乗せた。木下も(いいって)と笑ったように見えた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み