9、ふたり-4

文字数 1,000文字

 ドライヤーを持ち上げる腕も、髪をすく指も、少し震えているような気がする。
 階下で居間のドアの音がした。
 英里の身体の奥で心臓がギュッと鳴った。
(友彦兄さん……)
 ギシリ、ギシリと、友彦が階段を上がってくる。
 英里はドライヤーを握ったまま動けない。
 ブオーと温風が吹き出す音が、心臓の鼓動を隠してくれる。
 長くもない一軒家の階段を、友彦は上りきった。
(お願い)
 一歩、そしてまた一歩。
(早く)
(早く来て)
(お願い、早く来て)
(でなければ、早く通り過ぎて)
(お願い……)
 永遠とも思える一秒が過ぎて、足音が止まった。
 コン……。
 ためらいがちにもう一度。
 コン……。
 扉が鳴った。
 英里は全身を強ばらせたまま「どうぞ」と言った。
 ドアは開かない。
 温風を止め、英里はドライヤーを机に置いた。
「開いてるよ」
 英里の声はかすれていた。部屋にカギはかけていない。
 ギイ……と小さく音を立て、部屋の扉が開いた。
 ゆっくりと、英里は顔を上げた。
「……英里……」
 そちらを振り返る前に、英里は抱きしめられていた。
「英里……!」
 友彦の腕は力強く英里を締めつける。英里はそれを振りほどかない。されるがままに揺すぶられる。
「英里……英里……」
 狂おしく呟かれる自分の名前。英里の耳許で、友彦の熱い吐息に混じって。
 友彦のきつい腕の中で、英里は自分の腕を少し上げた。それを友彦の腰に回す。友彦の手が英里の背を、肩を強くまさぐる。
「英里……」
 友彦の咽がうっと詰まったように途切れ、押し殺した声が言った。
「好きだ……!」
(あぁ……)
 英里は友彦に抱かれながら天を見上げた。待ち望んだ言葉だった。
 視界が滲む。
「ともひこさ……んっ」
 友彦の唇が英里のそれをふさぐ。一八歳の激情が押し当てられる。友彦の純情は快楽の在処を探ることを知らず、英里の首筋へと下りていく。重心が傾いて、ふたりはもつれ合うようにベッドへ倒れ込んだ。
「……英里……」
 友彦はしがみつくように英里を抱きしめ、英里の白いシャツに顔をこすりつけた。うわごとのように英里の名を呼び、「好きだ」と呟くように繰り返した。本能のまま英里の身体を押し倒し、激情に身体をすりつける。
「英里ィ……」
 興奮しすぎて膠着している。激情にかられたまま、進む先を見失っている。
(友彦さん……)
 可愛い。可愛いひとだ。
 誰かとこうして触れ合ったことがないのだ。
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