9、ふたり-3

文字数 1,346文字

 英里は居間のTVをつけた。普段は観ないバラエティが映し出される。観るともなく、観ないともなく、ぼんやりと画面を眺める。
 内容なんて、頭に入ってこない。
 ただただ、スタジオで掛け合う芸人たちの音声を耳に入れていた。
 キッチンの奥で、風呂場のドアの開く音がした。少しして、キッチンとの間を隔てるアコーディオンカーテンが開いた。その気配に英里の身体は強ばる。
 英里の背後で、友彦が足を止めた。
 迷うような数秒ののち、友彦が低く言った。
「……次、英里入れよ」
 TV画面を眺めたまま、英里は答えた。
「……うん」
 友彦は何か言おうとして、少しその場で立ち止まり、そして何も言えずに出ていった。足音が二階へ昇っていく。
 英里はソファの上で膝を抱えた。そこへ深く顔を伏せる。
 風呂上がりの友彦が、立ったままじっと英里を見ていた。
 英里は首筋に友彦の視線を感じていた。
 友彦は時折こんな目で英里を見る。
 英里は立ち上がった。

 シャワーを使い、英里は白いゆるめのシャツをゆったり羽織る。風呂上がりの熱を冷ますため、ボタンは腹の辺りの二、三個しか止めない。下はピッタリしたジーンズ。一六八センチの英里の肢体を、最も美しく見せるバランスだ。
 台所から友彦の気配がしていた。今夜も食卓に参考書を拡げている。
 濡れ髪をタオルで拭きながら、英里は脱衣スペースと台所を隔てるアコーディオンカーテンを開けた。友彦の肩がビクリと震えるのが見えた。
 英里は友彦の後ろを通り、シンクでコップに水を汲んだ。風呂上がりの咽に冷たい水を流し込む。
 白い英里の咽がくくと動き、胸がわずかに上下する。
 英里は、友彦の視線がそこへ釘付けになるのを、痛いほどに感じていた。
(そう……友彦兄さん……もっと見て)
 最後の方を飲みきるとき、シャツの隙間からのけぞった腹をチラリとのぞかせる。縦にえぐれたへそは、友彦の視線を吸い寄せたろうか。
 友彦は、何も言わない。
 物音のない台所で、友彦の咽もぐびりと鳴ったような気がした。
 じりじりと、友彦の熱い視線に、英里の肌は焦がされる。
 英里はカタンとコップをカゴに置き、台所を後にした。
 友彦の鼻先に、自分の使ったシャワージェルの香りが漂うよう、腰とタオルを揺らめかせて。
 ランウェイを歩くモデルのように、英里はゆったりと自信に満ちた歩調を守った。ことり、ことりと階段を上がり、自室のドアをギュッと開ける。
 部屋に入り、カチャリとドアを閉めた途端。
(はあ~~~~)
 英里は足下からその場に崩れおちた。
 緊張、した。
 誘惑。肌を見せつけ、香りを嗅がせて、視線を誘導し、この身体に触れたくさせる。
 幾度となくやってきた馴染みの手管だが。
 こんなに緊張したのは初めてだ。
 それもそのはず。
 本気で、「欲しい」と思ったのは、これが初めてなのだから。
 手に入っても入らなくても大差ない、有象無象の男たちとは違う。
 笑いかけてくれるだけでも、見つめられるだけでも、自分を有頂天にしてしまう、この世でたったひとりのひと。
 床に膝をついたまま、英里はバスタオルを握りしめた。緊張で指が固く、白くなっている。
「友彦兄さん……」
 吐息とともに、甘いその名が口から漏れる。
 胸の奥で、心臓が鳴っている。
 苦しくて気が、遠くなる。
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