7、つのる思い-4

文字数 1,904文字

 初めて風呂の掃除をやってみた。
 宣言通り、友彦がついて教えてくれた。
 使う道具はこれこれで、手順はこうで、ゴールはこうでと、友彦の教え方は、数学の説明と同じように明確で分かりやすい。
 そして、優しい。
 英里は風呂上がりの身体に、風呂の前に着ていた、もう洗うだけのシャツとジーンズを身につけた。
 風呂場では、友彦に教えられる通りに作業した。そう広くもない一軒家の風呂場で、振り移しのように同じ動作を繰り返す。
 英里がスポンジで磨くあとから、友彦がシャワーで流していく。シャワーの湯は、ときに英里を急かすように英里の手許を追いかける。
「ほら、そこ。洗い残し」
「わあっ! 友兄、やめて。やめてったら」
 英里を急かす友彦の手許が狂い、シャワーの湯を英里の背にかけた。
「わ」
 綿のシャツが肌に貼りつき、ジーンズが脚にまとわりつく。
「あ、ごめん」
 慌てて謝る友彦。
「やったな……」
 英里は湯船に張った湯で反撃した。バシャバシャと手の平で湯をすくい、従兄の胸目がけて弾き飛ばす。
「ごめん。ごめんって」
「あはは」
 ふたりはきゃあきゃあと笑いながら湯をかけ合った。
 小学生のように、小さな幼子のようにじゃれ合って。笑い声が浴室に響く。
 シャワーと残り湯で、浴室は母の胎内のように温かい。
 傍らで作業をする友彦の肌が匂った。欲しくなる、抱きつきたくなる肌の熱さ。
「あははは……はあ。英里って意外に凶暴だな」
「そうだね……はあ……あんまり平和主義者ではないね」
 肩で息をつきながら、ふたりは顔を見合わせて笑った。
 ひとしきり遊んだあと、再び作業に戻る。
 友彦は動きにくいからと、パンツ一丁だった。英里にとっては刺激が強い。どうしても意識してしまう。そんな自分を気取られないよう、英里は余計に身体を動かした。
 英里がスポンジでこすったあとを、友彦が乾いた雑巾で拭きあげていく。筋肉が滑らかに動き、膨らみ、凹み、ときおり汗がしたたる。狭い浴室に作業をする息遣いが響く。ときおり肩が、肘が触れる。そのたび押したりよけたり、笑ったり叫んだり、普通の十代男子がじゃれ合うように、ふたりはじゃれた。こんなわずかな皮膚の接触が、英里を有頂天にした。ずっと終わらなければいいのにと英里は思った。
「友彦兄さん、もうお湯落としてもいい?」
「……ああ、うん」
 英里はバスタブに寄りかかり、栓を抜いた。これで浴槽の内側を拭きあげて完成だ。湯は掃除に使い残りは少量だ。落ちきるまで上の方から磨いていけば早いと友彦は教えてくれた。
「ホントだぁ」
 英里は身を乗り出し、バスタブの内側をこすった。
 尻を突きだして深く屈み、汗でシャツを肌に貼りつかせて。これまで英里に群がってきた男たちなら、むしゃぶりつきたくなる悩殺ポーズだ。
 これは友彦にも有効だろうか?
 友彦はぐーんと背を伸ばした。
「はあ、汗かいたな。最後人間の汗を流して終了! シャワー浴びようぜ」
「友兄、それじゃ水気を拭いた意味ないじゃん」
「ひと晩くらい濡れててもカビないって。また明日掃除するんだし。『こうやれば一番早い』って手順を説明したんだよ。英里だって汗まみれだろ」
 濡れた衣服を風呂場の床に放り、子犬のようにシャワーを浴びた。ざーざーと降りくる柔らかな滝の下で、ふざけながら、じゃれつきながら、汗を流した。英里は自制心と戦いながら、少しだけ友彦の胸にぶつかった。自分の細い身体が恥ずかしく、胸や腹を友彦の目から隠すように斜交いになって。
 友彦は湯栓を閉めた。雨滴が晴れ、ふたりの視界がクリアになる。
 直前まで一緒にはしゃいでいたのに、友彦は急に英里に背を向け身体を離した。
 男子高校生の身体がふたつ、狭い風呂場に詰めこまれた現実を、どうごまかしようもない。
「ほい」
 先に風呂場から出た友彦は、バスタオルを放ってくれた。
「ありがと」
 室温の空気がヒュッと浴室に流れこむ。英里は自分の身体を隠すように脱衣場に背を向け、手渡されたバスタオルで背中を拭った。
 友彦はざっと水気を拭き、そそくさと自分の部屋へ上がっていった。
(はあ……)
 英里は大きく息をはいた。
 友彦の態度が急変したように感じたのは、自分の錯覚だろうか。
 急いで出ていった彼の頬が、少し赤くなっていたように見えたのも。
 風呂場で湯にまみれながら身体を動かし、のぼせてしまっていただけかもしれない。
 止めた方がいい。英里は自分に言い聞かせた。余計な感情を、無理に読み取ろうとするのは。あとで自分が傷つくだけだ。
 用意していたパジャマを身につけ、習った通りに雑巾を干す。
 物干しの、友彦が使ったタオルに並べて、自分のタオルをそっとかけた。
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