8、ラベンダーの夕暮れ-2

文字数 1,333文字

「蓮見ぃ、おはよう!」
 生徒玄関で木下が明るく声をかけてきた。
「……おはよ」
「あれ? 永井さんは?」
 英里は黙って首を振った。
「今日一緒じゃないのか、珍しい。先輩どしたん?」
「……分かんない。『先行ってろ』って。顔も見てない」
「へえ」
 英里は木下と連れ立って教室への廊下を歩いた。彼らの一年D組は一階、教室棟の廊下の奥だ。並ぶ教室には、垣根代わりに植えられた木々の隙間から、淡い秋の陽が差し込む。
「腹でも壊してるのかな。永井さんって丈夫なイメージあるけど」
「そうなんだ」
「うん。体調崩して欠席とかって、あんまりなかった気がする」
「ふーん」
「『ふーん』て」
 木下は笑った。
「蓮見の方が詳しいんじゃない? 従兄でしょ」
「そうだけど」
 英里は左手の中庭に目をやった。体育館の方へ向かう生徒が、わやわや騒ぎながら横切っていくのが見えた。
「ずっと会ってなかったし、あのひとのことはよく知らない。君たち部活の後輩の方が、よほど詳しく知ってるよ」
「そうかな」
 木下はカバンをスイと肩にかけ、頭の後ろで両腕を組んだ。
「うん。だって、もう半年の付き合いでしょ? 僕なんて、まだ一ヶ月だもの」
「そうねえ。そういう言い方もできるんだろうけどねえ」
 木下のカバンの中からブーンと振動音が聞こえた。木下は組んでいた腕を下ろした。
「でも、永井さんの蓮見への過保護っぷりは、そんなあっさりしたもんには見えなかったよ……って、言ってるそばから」
 木下は取り出した携帯電話を開き、表示されたメッセージを英里に見せた。
「ほら、永井さんだ。『蓮見英里はちゃんと学校に着いてるか?』だって」
 喋っていると教室に着いた。木下は自分の席にカバンを下ろし、後ろの席の英里と話しやすいよう、横向きに腰をかけた。
「ったく、そんなの本人に直接訊けばいいのに。『はいはい、ちゃんと俺の後ろの席にいますよ』っと」
 木下は友彦の身体を気づかうメッセージを付け加えて送信した。
 英里は木下の手許を見るともなしに見やりながら、木漏れ日に目を細めて呟いた。
「……別に避けられるような心当たりはないけどな」
 英里の呟きに、木下は目を丸くした。
「え? 逆じゃないの?」 
「え?」
「逆だろ。蓮見のことが気になりすぎて、直接ぶつけられないんじゃないの」
(え……!)
 英里の胸の奥で心臓が跳ねた。
 英里のことが気になりすぎて。木下の言葉が耳の中で反響する。
 木下は変わらず朗らかに、「そんなにガチで心配されるほどの方向音痴って、ある意味すごいな」と笑った。
「蓮見、休みの日とか外に出かけられるのか? 毎週迷子になってるとか」
「ああ……うん……ひとりではどこにもいかないようにしてるよ」
 英里は木下に生返事をしながら考えていた。
 友彦の態度の豹変ぶり。それが、木下の言うように、英里のことが「気になりすぎ」てのものだったら。
 本当に、友彦は、英里のことを気にしてくれているのだったら。
(どうしよう……)
 それを願ってはいけないのだけれど。
 英里はもう願わずにいられない。
 木下は英里の生返事に口笛を鳴らし、
「ヒュー! そんで、どこへ行くんでも永井さんがついていくって? 受験生をお付きの従者に使ってるんだ。すごいねえ」
と感心した。
 頬が熱い。
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