1、北へ-2
文字数 1,265文字
田畑も原野も終わり、外は街になっていた。
降りる駅には従兄が迎えに来ているはずだった。
昔はよく一緒に遊んだという、ふたつ歳上の従兄だ。
幼い頃に数度会っただけの従兄は、もう顔も思い出せない。
雨が小止みになってきた。列車は速度を弛めた。
ホームに、ぱらぱらとひとが立っていた。どんより暗い秋の午後、高架のホームはグレーの濃淡にしか見えない。
ゆっくりと通過していくホームの景色。
ひとりだけ、くっきりその輪郭が見えた青年があった。英里はハッとしてその姿を目で追った。
すぐ車窓に消えたその青年は、ポケットに両手を入れ、若い細身の骨格を寒さに軽く前屈みにして、入ってくる列車をじっと眺めていた。落ち着いたオレンジの上着にジーンズ。
取り立てて美形ではないが、穏やかな表情に好感が持てた。
あのひとだったら、いいのに。
そう思った瞬間、英里は口の端を上げた。
懲りない自分を嗤った。その性癖のせいで、こんなところまで流されてきたのだろうに。
英里はひとり暮らしの部屋を、この春進学した高校の近くに与えられていた。自宅からの通学に一ヶ月で音を上げて親にねだったからだが、自由を与えられてすることは決まっていた。冒険は週末からほぼ毎日と頻度を上げ、学校を欠席することも増えた。学校から親に連絡が行くのも時間の問題だった。
列車が止まった。
英里は網棚から荷物を下ろした。
つい見とれて目で追ってしまったさっきの青年。きっと英里の「タイプ」なのだろう。どうせ一緒に暮らすなら、好みの男の方がいい。
好み? 好みのタイプと毎日一緒に暮らすなんてまずい。
しっかりしろと心の中で自分を叱り、英里は荷物を肩に背負った。
今度何かやらかしてしまったら、もう英里には行くところなんてない。
まあ、英里が心配しなくても、世の中そんなに都合よくできてはいないものだ。英里の視線を奪った彼と、一緒に住めるなんてことある訳がない。
列車を降りると、ホームを吹き抜ける冷たい風にビュッと頬をなぶられた。英里は肩を丸めた。
さて、覚えていない従兄を探さなくてはならない。ここで出会えないと行く先までの道が分からないのだ。
そのとき。
「エリちゃん」
背後から声がした。ホームに他にひとはいない。
「エリちゃん、だよね」
ひと違いと言おうと振り返った英里は息を呑んだ。
「俺だよ、友彦だよ。覚えてる?」
穏やかで優しい声。
(――嘘)
これは。
これはまずい。
さっきの青年が笑っていた。
英里は返事もできずただ彼を見上げていた。
「すぐ分かったよ。久しぶり。会いたかった」
友彦は軽やかな動きで、英里の手から荷物を取り上げた。指が触れた。
「忘れちゃったかな。ははは、あの頃はまだ小さかったからな」
友彦は軽々と荷物を肩にかけた。
「さあ、行こう。案内するよ」
友彦は階段を下っていく。英里は自分の指を頬に当てた。
熱かった。
熱いのは頬か、指か。
英里は友彦の上着のオレンジを見失わないように歩いた。
その背を追いさえすればいい。甘いような怖いような思いで胸が鳴った。
降りる駅には従兄が迎えに来ているはずだった。
昔はよく一緒に遊んだという、ふたつ歳上の従兄だ。
幼い頃に数度会っただけの従兄は、もう顔も思い出せない。
雨が小止みになってきた。列車は速度を弛めた。
ホームに、ぱらぱらとひとが立っていた。どんより暗い秋の午後、高架のホームはグレーの濃淡にしか見えない。
ゆっくりと通過していくホームの景色。
ひとりだけ、くっきりその輪郭が見えた青年があった。英里はハッとしてその姿を目で追った。
すぐ車窓に消えたその青年は、ポケットに両手を入れ、若い細身の骨格を寒さに軽く前屈みにして、入ってくる列車をじっと眺めていた。落ち着いたオレンジの上着にジーンズ。
取り立てて美形ではないが、穏やかな表情に好感が持てた。
あのひとだったら、いいのに。
そう思った瞬間、英里は口の端を上げた。
懲りない自分を嗤った。その性癖のせいで、こんなところまで流されてきたのだろうに。
英里はひとり暮らしの部屋を、この春進学した高校の近くに与えられていた。自宅からの通学に一ヶ月で音を上げて親にねだったからだが、自由を与えられてすることは決まっていた。冒険は週末からほぼ毎日と頻度を上げ、学校を欠席することも増えた。学校から親に連絡が行くのも時間の問題だった。
列車が止まった。
英里は網棚から荷物を下ろした。
つい見とれて目で追ってしまったさっきの青年。きっと英里の「タイプ」なのだろう。どうせ一緒に暮らすなら、好みの男の方がいい。
好み? 好みのタイプと毎日一緒に暮らすなんてまずい。
しっかりしろと心の中で自分を叱り、英里は荷物を肩に背負った。
今度何かやらかしてしまったら、もう英里には行くところなんてない。
まあ、英里が心配しなくても、世の中そんなに都合よくできてはいないものだ。英里の視線を奪った彼と、一緒に住めるなんてことある訳がない。
列車を降りると、ホームを吹き抜ける冷たい風にビュッと頬をなぶられた。英里は肩を丸めた。
さて、覚えていない従兄を探さなくてはならない。ここで出会えないと行く先までの道が分からないのだ。
そのとき。
「エリちゃん」
背後から声がした。ホームに他にひとはいない。
「エリちゃん、だよね」
ひと違いと言おうと振り返った英里は息を呑んだ。
「俺だよ、友彦だよ。覚えてる?」
穏やかで優しい声。
(――嘘)
これは。
これはまずい。
さっきの青年が笑っていた。
英里は返事もできずただ彼を見上げていた。
「すぐ分かったよ。久しぶり。会いたかった」
友彦は軽やかな動きで、英里の手から荷物を取り上げた。指が触れた。
「忘れちゃったかな。ははは、あの頃はまだ小さかったからな」
友彦は軽々と荷物を肩にかけた。
「さあ、行こう。案内するよ」
友彦は階段を下っていく。英里は自分の指を頬に当てた。
熱かった。
熱いのは頬か、指か。
英里は友彦の上着のオレンジを見失わないように歩いた。
その背を追いさえすればいい。甘いような怖いような思いで胸が鳴った。