7、つのる思い-5

文字数 1,004文字

 濡れ髪のまま自室へ上る。
 もう遅いので、足音が響かぬよう、英里はそっと、そっと階段を上った。
 奥の友彦の部屋からは何の音もしない。もう眠ってしまっただろうか。
 音を立てぬように自分の部屋のドアノブを回し、また静かに扉を閉める。
 英里はベッドに横たわった。
 この壁の向こうに、友彦がいる。
 浴室で触れた肩の感触が消えない。
(友彦兄さん……)
 英里は指を伸ばした。
 ふたりを隔てるこの壁がなければ、触れ合える近さにあの肌がある。
 あんな姿で風呂場にいて、英里に触れなかった男は初めてだ。友彦は無邪気な笑い声を上げて、英里にシャワーを浴びせかけた。英里も無邪気を装って反撃したりして。
 ヘンな空気にならないように、ぶつかる指がおかしな信号を送ってしまわないように、細心の注意を払った。
 惨めだ。
(友彦……さん……)
 英里は壁に頬を寄せ瞼を閉じた。
 どうしよう。
 もうすっかり、自分は友彦を欲しくなっている。
 こんな思いを抱いても、何にもならないのに。
 そしてこれは、決して、決して気取られてはいけないのだ。
 優しい友彦。熱いあの肌に触れたい。触れてもらいたい。
 こんな風に誰かを求める気持ちになったのは、初めてだ。
 もしかして。
 これまで英里がこの身体の上を通り過ぎさせた男たち。彼らの何人かは、こんな気持ちを抱いていたのだろうか。
 英里を好きだと言ったものもいた。思い詰めた瞳で、英里を抱きよせたものもいた。
 英里は、知りたかったのだ。
 英里の知らない「愛」という心の働きを。
 この世のどこかにあるらしい、魂が駆動する瞬間を。
(そうか……僕は)
「愛」を感じてみたかった。
 そのために、自分の身体をエサにして、幾人もの男たちを釣ってみた。
 英里の試みは成功した。英里は欲望を知ることができた。それが愛だと思っていた。だから、彼らのうちで、英里を特に「愛」したひとりを秘密にした。
 もしかして、彼は本当に英里を愛したかもしれない。なぜなら、英里は彼を「愛した」ような気がしていたから。
 だが。
 今なら分かる。ひとを好きになるなんて、あんなものとは全然違った。
(きっと、みんなの気持ちを踏みにじってきた、その罰を受けているんだ――)
 もう顔も思い出せないあの彼も、こんな夜の闇にじりじりと灼かれていたのだろうか。
 闇は今夜も英里を迎え入れてくれなかった。
 英里は眠りにすら見放され、ひとりぽっちで寝返りを打った。  
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