8、ラベンダーの夕暮れ-5

文字数 580文字

 夕暮れが世界の輪郭を、ほんの少し曖昧にする。
 英里と別れて三十分後、友彦が自宅に帰ってきたとき、家の中に動くものの気配はなかった。
 友彦は音を立てずに靴を脱いだ。
「ただいまぁ。英里……いないのか……?」
 友彦は居間の扉を開けた。
 ラベンダー色の空を背に、ソファで英里が眠っていた。
 友彦はそっと部屋を横切った。
 グレーとオレンジが混じる穏やかな反射光が、英里の白い頬を淡く照らす。スースーと優しい寝息を立て眠る英里の、下瞼がわずかに翳っていた。 
(こんなところでうたた寝したら、風邪引くぞ)
 日没とともに、札幌の秋は急激に寒くなる。
 友彦は音を立てないようにジャケットを脱いだ。
 そのままソファの傍らに片膝をついた。
(英里……)
 友彦はそうっとジャケットを英里の身体にかけた。少しずつジャケットの重さを英里の上に移していき、何秒もかけて指を離す。
 ジャケットを離した友彦の指が、宙を泳いだ。
 至近距離で、英里が眠っている。夕暮れのほの明かりに、頬のうぶ毛が浮かび上がる。
 穏やかな寝息に引き寄せられ、吸い寄せられ、そして――。
 友彦は自分の唇を英里の唇に触れ合わせた。
「ん……」
 英里の咽が小さく鳴り、まぶたがひくと動く。
 友彦はハッとしたように身を起こし、そのまま二、三歩下がった。英里は目を覚まさない。
 友彦は首まで真っ赤に染め、逃げるように居間を出た。
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