第38話 後藤寺駅前 今村茶舗 

文字数 1,769文字

 秋月街道の通り道で大隈宿を目指していると、後藤寺駅近くを通った。子供の頃から聞いていた駅名で筑豊本線後藤寺方面という懐かしの駅名である。かつては石炭の町で賑わい、各方面への連絡駅になっていた。今はどんな様子になっているだろうか?、一度、寄ってたいと思った。
 アーケードとシャターを付けた商店街が、昔の栄えた面影を残している。そして、車社会となり、個店の商いは成り立たなくなり、二階の住処を捨て、亡霊の如く存在し続けている。シャッター街の入り口の二軒は店を開いていた。千鳥饅頭とお茶屋さん。人通りもなく、店先に昔風の自転車が置いてある。老婦人のお客が帰った後だったので、今村茶舗に入った。店の作りは昔のままだ、ガラスケースに各種のお茶が入り、量り売り。木製の大きな箱がある。八女茶の販売を主にしているようだ。
 体格のいい店主に「随分古くからお茶を販売されているのでしょうね」と尋ねるた。他のお客も来ない小一時間、主人は、プロとしてのお茶の話を、詳しく語ってくれた。お茶の成り立ち、本物の八女茶の素晴らしさ、美味しさを。お茶にたいする店主の講釈を聞くのは久しぶりだ。
 随分昔、お茶への認識の無かった私は、食後に妻が淹れてくれるお茶は何でもよかった。無頓着だったのか、出がらしの味のないお茶でも、色が付いていれば、それでよかった。古河市に住んでる頃、近くのお茶やに茶葉を買いに言った時、店の主人から煎茶の成り立ちや飲み方を教わった。煎茶に対する印象が強く残り、以来お茶にはこだわりを持ち、お茶の美味しさを知ることが出来た。
「5月に新茶が出回りますが、熟成され本当においしいのは11月頃」と今村さんは言う。
「今村茶舗は、明治28年創業で私は、四代目の跡継ぎです。子供の頃からお茶に対する知識や体験を得ました」と続ける。
「日本には栄西が中国から茶ノ木を持ち帰りました。嬉野にその石碑があり、それから京都へ
広がっていきました。中国では茶は薬として使われていましたが、日本に入ってきてからは、日本流の洗礼されたお茶に成長していきました。高貴な人が嗜んだものでした。」
「緑葉ではありますが、酸化すると茶色に変化するのでお茶といいいます。」伝統の話を聞きいていると「お茶を入れましょうか」と言う。ちょうど喉が渇いて飲みたかった。
まずは1杯目、八女茶の千円もの、香り良く熱さも飲み心地がよい。小ぶり茶碗ですぐ飲み干
す。茶は80度くらいで、小さじ2杯の葉でお湯は小さな湯呑で入れる。
2杯目も濃い緑茶で美味しい。「お茶の味は甘さ、砂糖の甘さではなく、優しい味である」。
3杯目は少し熱めで、茶を味わえる。
「本当のお茶は、3杯目まで飲める茶が本物です」と匠は語る。
「祖父や父から子供の頃から茶を入れてもらい飲んだ。知識の数々も伝授してもらいました。」
「飲んで、お茶がいくらの値段、どこの産地、静岡、京都、八女、鹿児島を当てることが出来ます」
「生協がほしの村の茶を100g800円で販売した。3000円する高級品なのにと疑問に
思いました」原産茶が50%以上あれば、安い茶を混ぜてもよいらしい。
「星野の高級茶に安い鹿児島茶を混ぜていたらしいのです」
 安い茶を買って、大衆は騙される。1杯目は美味しいが、2杯目は不味いお茶が多い。
「お茶は1杯目、2杯目、3杯目迄飲めるのが純粋のお茶です」と匠は念を押す。
 家で買うお茶は1杯目は美味しいが、2杯目は不味いので捨てている。匠は強調する
「安いお茶にアミノ酸を混ぜる。味は良くなるが1杯目でアミノ酸が溶けて、2杯目は不味いお茶になります」まさに思い当たる節があった。不味いお茶のアミノ酸入りを買って満足していたのだ。
 八女茶販売の今村茶舗のガラスケースの葉から100g買った。私の近くにこんな純粋な茶
販売が無い。どうしようと悩む。
 「妻は日本茶のインストラクターの免許を取った。筆記は1回で受かったが、効き茶で2回
落ち、3回目で受かった。効き茶は難しい」。「茶の業者が私にも免許取ったらというが、市川団十郎に歌舞伎の試験を受けないか」と同じことだと返答した」という。
 自販売の茶はビタミンⅭが入って茶色にならないようにしてある。道理で自販機のお茶は不味
い。しかし、しばしば買っている。便利な物は旨さに勝るものがあるのだろうか。
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