第12話 再び徳力の城跡へ

文字数 2,179文字

 前回、徳力宿と思われそうな場所に行ったが、確たる証拠もなく疑念が残った。紫川の傍にお住まいの高橋さんから「地区の公民館に宿場に詳しい人がいる」と聞いていた。もう一度、訪ねてみる価値があるとおもった。人との出会いは、貴重な体験であり、袖すりあうも、多少の縁とは、素晴らしい格言である。親切に、電話をかけてもらったが、公民館の詳しい人は不在のようだった。世の中に、良い人は大勢いるものだ。突然やって来た私に、優しく応対してくれる。
 「近所の崎田さんが、江戸時代からこの土地に住まわれているので、案内しましょう」と言う。後ろに付いて行くと、広い庭に新家屋と旧式家屋がある。旧家が崎田家で、丁度奥さんが庭に居られたので、紹介してもらった。「この家は二百年前に建てられた物です」と言う。後で調べると、現在が2022年なので1822年ということになり、暦をしらべると文政4年頃だという。まさに江戸時代建築の建物なのである。よくぞ残っていただきました。「以前は、茅葺き屋根だったけれど葺き替え工事が大変なので、赤トタンを被せています」内部の間取りは、生活し易いよう改装されているという。
 「裏庭に駒つなぎ石というのがあり、丸い穴を穿ち、手綱を括るようにしてあります」という。民家に江戸期の遺跡があるなんて、お伽話のようだ。高さ一メートルの細長い石、左上に八センチ程の穴がくり抜いてある。手綱を通し、馬を残して、主人は城へと登っていったのだろう。
 長崎街道の宿場でも、馬繋ぎ石を見たことがある。参勤交代に馬は重要な運搬係を補佐していた。宿場ごとに馬継ぎ所を置くことが幕命により義務づけられ、前後の宿場だけに、荷物の運搬をすることが認可されていた。
 宿場には、殿さまが泊まる本陣と、家来が泊まる旅籠があることと、そこに馬継ぎ所があることが必須の条件だった。人力駕籠や馬で物や人を運ぶシステムである。西洋では1770年頃

エンジンが発明され、自動車なども作られ始めていたというに、江戸幕府は鎖国を貫き、時代遅れの日常生活を送っていた。
 庭の横に坂道がある。「これは、姫下りの坂と昔から言われています。裏山も、我が家の所有地です」と、奥さんが説明してくれた。
 今日は、私一人で此処を訪ねている。未知のものに対し強い興味心が騒ぐ「裏山に、登ってもいいですか」と訊くと「どうぞ」とあっさり了解してくれた。前回、この土地に来た時、近所の老人が「山の上に城があり、武士が上り下りをしていた」と証言していた。「出城の記憶を掘り起こしてみたい」と心の中の一人が囁いた。
 坂を登ると整地された平地があり、土留めに石垣が組上げてある。山道の傍に、山水の流れを誘導する石垣が上の方まで、人力で築いたような光景が見える。山の斜面の竹林は手入れが行き届いており、坂の地面は刈り込んだ低い笹の葉で覆われている。竹は太さ十五センチの孟宗竹で、すっくと空に伸び上がっている。タケノコでも収穫されるのだろう。
 斜面を三十分登っても、障害になる藪など無く、竹林が広がっている。傾斜がきつく、心臓がどきどき悲鳴をあげ始める。少し休んだ後、滑り落ちないよう一歩ずつ足元を固め登る。「藪で行き止まる迄、頂上を目指すぞ」と内心は意気込んだ。山登りの予定はなかったので、新しい革靴が、既に泥まみれのぐちゃぐちゃである。「帰って、洗って、磨けば許してあげる」と靴はいう。
 拾った棒切れを左手に持ち、右手で孟宗竹を掴み三十度位の斜面を登る。視界が開け、徳力の町並みが小さく見える。一時間掛かって、ようやく頂上に辿り着いた。
 尾根の山道が、左右に広がり、木々に囲まれている。折れ枝を箒代わりに、落ち葉を払いのけ、「城跡の痕跡はないか。大きな崖石はないか」眼を凝らした。昔の生活や文化を明らかにする考古学者の気分だ。
 緩い斜面に、石の塊が見える。泥や降り積もった木の葉を払いのけると、現れたのは、平らな地面を基盤とし、斜面に石垣を築き上げている光景だった。「これぞ、出城の基礎部分に違いない」「発見したぞー!」と思わず、感動の雄叫びをあげた。この場所に出城を建てたに違いない。その形跡がイメージできる。この城を目指し、侍が登城していたのだ。
 帰りは、滑るように山を下り降りていった。崎田さんの家をたずね、山頂の状態布告を聞いてもらった。奥さんは観音様のような表情をして「そこが城跡です。建物は何もないですけど」と言って頂いた。「尾根の両側に、緩やかな登山道があり、そこからも登れます。登る前に教えれば良かったですね。登る途中で帰られたかと、心配していました」と労うように言ってくれた。良い人だと思った。
「以前、この山は藪だらけでした。三年前から主人と二人で、コツコツと整備していきました」とさりげなく語る。「これだけ広い、しかも急斜面の所を、よく手入れされましたね」と、その行動力に感動した。
 玄関の表札にご主人の名前が「崎田丈夫」と書いてあった。恐らく、山仕事と名前からして、頑強な男性で、竹林を開拓されたのだと想像した。「タケオさんと読むのですか」と聞くと奥さんが「下の名前は”もののふ”と言います」と教えてくれた。どんな人なのか会って宿場の話しを聞きたいと思った。私の顔を見て、奥さんはご主人の携帯電話の番号を教えてくれた。
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