第22話 大隈宿 くがやマルシェ

文字数 1,379文字

 大隈宿の場所が、はっきりと特定確認できなかった。宿場捜しの場合、「ここが宿場のあったところですよ」という表示の無い所が多く、近くに居住する人の話を聴かなければ、分からない事が多い。分らない所を、人々に尋ね、探し当てるのが面白いところでもある。 
 次週の日曜日、嘉麻市職員から情報を聞いた場所に行ってみた。嘉麻警察署から玉の井酒造までの通りが宿場だったらしい。車が頻繁に通り、狭い道路でもあり歩道もない。秋津街道がそのまま、少しだけ道路を拡張し使用されているにちがいない。改めて、道沿いの建物を眺めると、昔風の白壁二階建ての家々が、宿場の面影を残し並んで建っている。「ここが宿場なのだ」と納得した気分にさせられた。
 江戸時代の商いを廃業した所が大半である。百五十年も前の話からだと、全ての物事が変化しているのは、当然のことだろう。その中で、一部でも昔の名残を引き継いでいる物はないだろうかと探索を続けた。
 まだ新しくお洒落れな看板で「久賀屋・創業安政元年」が目に入った。先週見た北斗宮の秀吉と勝家を描いた絵馬は、安政六年と書かれていた。安政は江戸末期の騒然とした世相の時だ。同じ時期、ご先祖は近くにある其の絵馬も見られたことだろう。
 店に入ると、夫婦だろう、カウンターの中に奥さんが、店にご主人がいらした。宿場の現状を尋ねると「安政元年はペルー来航の年で、先祖が和服商を創業しました。現在は妻が、八代目として店を継いでいます」と四十歳位のご主人が語る。若奥様は「私達は博多で働いていたのですが、コロナの影響で、何もかもが厳しくなり、私の故郷の大隈に戻り、父の跡を継ぐことを話し合いで、決めました」と言う。
 大正二年に建てた住宅は裏道路から表道路まである長い建物だった。建物は間口十二メートルで奥行き五十メートルはある。京都と同じ方式で、間口の広さで税金がかかるので、奥行きが長いいえにしたという。最近、嘉麻市の舗道拡張したいという要請があり、家の前部を削り、改装工事の補助金が支給された。これを機会に、入り口を新しく作り替え、お洒落な店構えにしたと話していただいた。
 居間から奥につながるガラス戸を開けると廊下があり、内庭があり、トイレがある。黒い梁は太く、三十センチはある堂々たる代物だ。二階への階段の下には箪笥が嵌め込んである。まさに古い時代の産物が堂々と残り、存在感を主張している。「奥は、商品を納めたりする土蔵でしたが、隠居した父の為に、居心地よい室内環境に改造しました」と、女主人は言う。家は別だろうが、帰郷した娘といつも会えるのは、ご隠居さんには、極楽至極だろう。
 店は、雑貨類と和服と小物類、それにカフェランチもしている。女性が好みそうな店作りである。私と相方は、サンドイッチとコーヒーを頼んだ。カウンターの奥で、夫婦仲良く調理し、コーヒーをいれてくれた。味も雰囲気も良い店である。千客万来をお祈りしたい。
 宿場通りの住人もほとんどが高齢化し、形態は残しているものの、店仕舞いの家が続く。地域興しのため、若くて男前のご主人が和服を着て、この宿場を案内する企画を実施しているという。店の横の空き地を借り、テントを張り、多くの仲間と「くがやマルシェ」を開催した。近日中にも開催予定だ。なんとか若い人が根付く、活気の戻った町を作ってもらいたいと思う。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み