第16話 呼野宿の松井一級建築士

文字数 1,327文字

 前回、呼野を訪ねた時は宿場の状況が、詳しく分からなかった。再訪すると、前回の情報が頭に蓄積され、凡その位置関係は理解できた。体験は脳に臨場感ある景色を記憶させ、整理箱の中に収められるのだろう。行ったことのない宿場は、写真を見、字を読んだだけ。平面的な二次元の世界、三次元は縦・横・高さで測れる空間、立体である。現場に行って見るのが、最も大切なことである。宿場に家は並んでいるが、人の気配はない。今回は、人を見つけ、訊ねることが、まずは重要となる。
 庭の木々の向こうに作業場が見える。作業している人が見えた。「こんにちは」と大声で声尾をかけ、「宿場に興味がありまして、江戸時代の遺跡について、何かご存じないですか」と、頭を下げて訊くと、持っていた材木を下ろし、詳しく語りだしてくれた。奥の作業場の看板に「松井一級建築士事務所」と書かれている。「近くに遺跡がありますので、その一つを案内しましょう」と言い、先に立って歩きだした。
 通りに郵便局があり、駐車場の横に看板がある。「江戸時代、香春街道に建てられた道標の一つです」と書いてあるのを指さした。並んで、細長い石造りの里程標があり「従是小倉迄三里弐拾四町」「従是大里迄四里拾七町」「従是採銅所迄壱拾四町」と刻んである。旅人や参勤交代の人々は、これを目標に旅を続けたのだ。遺跡として行政が銅の掲示板を建て、歴史に配慮したのである。素晴らしい事業であると、拍手を送りたい気持ちだった。
 斜め向かいに前回見た「お糸の地蔵堂」があり、「この場所には昔、高札場があったのです」と、松井さんは語る。今やそのことは、なんの表示もされていない。証拠は消滅していくばかりである。聞いて初めて分かる伝承になっていた。「このお堂の再建は、私が建築したものです。その何十年か前は、大工だった父が建てたものです」大工の息子さんが東京の大学に行き、一級建築士になったのである。親の背中を見て、更に高度なレベルを目指し、難しい資格を取られたのだろう。
 「向いの空き地が庄屋跡で、昔は私の親戚が所有していました。構口は西も東も今はないのです」松井さんが説明してくれなければ、宿場の有りし日の姿は、想像できなかっただろう。
途中、古い二階家があり、昔の宿場役職者の建物で、これも建築士が改造を手がけたと言う。地域に貢献されている立派な方である。
 作業場に戻ると、隣の家が見事な二階建てである。石州の黒瓦、屋根にシャチホコが四か所も鎮座している。「大工だった父が、この家を建てました。所有の山から木を切り出し、何年間も乾燥させ、柱に使った自慢の家屋です」
 「中を見てみませんか」と勧めて頂いたので、銘木を使った玄関から見せてもらった。「広い四部屋の和室、昔は襖を開け放し、大広間にして大宴会をした」と昔を懐かしいそうに話す。床の間、飾り棚、床柱、窓、お縁も広い。欄間も見事、大工さんが自分の思い通りの、贅沢な造りにした跡が窺えた。「建築士としては、採光関係を考えてないな」と辛口の親父批判をされていた。
 「呼野の宿場の歴史は、学校の先生だった山本公一さんが詳しいのでお尋ねなさい」と言い場所を教えてくれた。
呼野宿は北九州市小倉南区呼野にある。
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