第31話 秋月街道の宿場

文字数 486文字

江戸時代の徳川幕府は、全国の藩主に対して、二年に一度、藩主自らが、徳川将軍へ拝謁する機会を持つことを命令した。犯すことのできない、最重要事項である。もし背けば、お家断絶の厳しい措置が下される。遠近にかかわらず、実施される大移動の行事に対して、幕府は全国へ、街道を作った。現在のような。アスファルト舗装で車の移動とは、訳が違う。土の地面を線引きするだけである。後は、地元農民が駆り出され、道路を整備していくことになる。藩主一行が通行する際は、農民は土下座をして、見送らなければならない。時代がそうであれば、全て者はその決め事を、悪かろうが良かろうが守らなければならない。
江戸時代は、外国と鎖国政策をとっており、長崎の出島だけが、外国との取引ができる場所であった。九州に長崎街道があった。長崎を起点とし、小倉宿の常盤橋までが、長崎街道といわれた。宿場は4里ごと今で言えば二十キロごとに、宿場を設営した。一里ごとに、一里塚を街道添いに石垣で築き、距離に、目安とした。当時は地面を歩いて、藩主一行数百人は、移動していた。一日が二十キロの時間を要するということで、宿場は決められた。
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