第24話 千手宿の山本刃物

文字数 1,099文字

千手(せんず)宿は嘉麻市の小学校の近くにある。水田の広がる里山に、宿場通りの集落がある。その家の一軒に漆喰壁の民家があり、隣接した作業場に「筑前左 山本刃物」の手造り板看板がある。
男女が、玄関で立ち話をしていた「何かお探しですか」と女性が問いかけた。「ここは、宿場だった所ですか?」と訊ねると「続き隣で、鍛冶屋をやっていました。どうぞ、中に入って、ご覧ください」と言う。機械や道具が放置されていた。「珍しいですね、使える状態の鍛冶屋は、何十年ぶりに見ました」と驚くと、「祖父と父が、鍛冶屋として働く姿を、子供の頃から見ていました」と言う。耐火煉瓦の炉が、でんと真ん中にあり、コークスが燃え、火床(ほくぼ)が活躍したのだろう。煙突が屋根の外に突き出ている。耐火煉瓦炉の前に、地面を堀下げ、作業者が入れるようになっている。その横にベルトハンマーが控え、金床にある鉄を鎚で、連続で叩き鍛える。作業風景が目に見えるようだ。
「小学校の社会見学の一環として、鍛冶屋見学に来たことがありました。父が千度以上の炉に、タガネで鉄を挟み差し込み、そして金鎚で叩き、鍛冶仕事を説明しました」娘さんは、そんな働き方を説明する父親を、誇らしく思ったのだろう。
 彼女は、大学を出て就職し博多に住んだ。「私が、二十八歳の頃、父が五十九歳で急死してしまった。そして、母も二年後に亡くなったという。十年位、家は誰も住まない無人のままだった。彼女の心の中に、家のことが、ずっと気になっていた。
「自分が生まれ育った故郷。古里とはいったい何だろう」と彼女は考えた。「鍛冶屋の父母がおり、田や山も所有、親戚もいる。建てられて百年以上経つ家も、居心地が良かった。ここが私の大好きな故郷なのだ」と思った。惹かれるように望郷の念が募っていった。
 三十六歳の頃、知り合いの男性と結婚し、博多に住んだ。都会の便利な生活に慣れてはいるが、「故郷の古民家で鍛冶屋を残し、生活したい」と心の中で思い続けた。心の内を、夫に相談した。妻の望郷を思い遣り、一緒にこの地で住むことを決意した。妊娠中に移住し「生まれてくる子どもに、自分が経験した大らかな里山で、自然と共に元気に育ってもらいたいと思いました」と述懐した。
今では、四歳と二歳の男の子と4人暮らである。「家に上がって見てください」と言う。二階には鍛冶や刀剣に関する資料が曾祖父の代からの物がある。刀鍛冶の左文字系の弟子となり、刀鍛冶の職人をしていた。鍛冶の道具や炉や仕事場がその儘の状態で残る数少ない場所である。
 「ここを修復し『つなぐもの 鍛冶屋の記憶』として皆様に見てもらいたい」と将来の夢を語った。
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