第6話 小倉宿 久津の葉 蛸料理

文字数 1,196文字

 常盤橋のたもとにある小さな「久津の葉」という店の前で、植木鉢の剪定をしている男性がいた。昔の宿図を見てもらい話かけた。
「江戸時代は、この場所は宿場であり、相当賑やかな商店街だったようですね。ご主人は当時の商いされていた人の末裔の方ですか?」と糸口をひらいた。
「いえ、とんでもないです。私の母が此処で商売を始めまして、私で二代目です。この店舗を借りてから、私で二十年間、飲食店を営業しています。関門海峡で獲れるタコを使い料理し、お客さんに提供しているのです」と店の由来を放してくれた。
「飲食店のほうも、最近のコロナ情勢で、厳しい状況ではないのですか」と聞くと
「かなり客足は落ちました。これ以上続くとお手上げになるかもしれません」
「二十年間も続けている秘訣は何かありますか」
「私と妻と二人でやっているので、ここまで長く続けられる秘訣ではないでしょうか」と言う。「私の出身は、門司区葛葉なので、少し洒落て 久津の葉 という店名にしたのです」、この近辺も以前とは相当変わったようで
「すぐそこにある常盤橋は、昔はコンクリートの普通の橋で、紫川渡る唯一の橋でした。その後、自動車が普及し、常盤橋の数十メートル先の上下に、自動車道橋が日本掛けられました。常盤橋は要らなくなったので、取り壊す予定だったようです。小倉の有識者が、反対し、これは江戸時代の長崎街道の始点という由緒ある橋である。歴史的に重要な遺跡を、もっと認識してもらいたいと、強行に訴えたようです。結果として、意見が通り、昔の形に復元し掛ける替えると決議されたのです」と街道と橋の生き残りの物語を語ってくれた。
色々な宿場を見て回ったが、歴史の重要性を知る有識者のいる町の宿場は、何らかの形で保存されているが、全く消え去った宿場も数多い。
「平成八年にこの橋は、昔の面影を残して完成したのです。紫川の向こう京町側に宣伝塔がありますが、実際は、あの倍はある大きな宣伝塔で、下は公衆トイレだったのです」石で作った掲示板が当時の様子を刻んでいる。石であれば、腐らず後世まで残ることが出来る。
「隣の店は四年前、フランス料理を若い人が開店、人気があり、夕方は人が並んでいるます」。
「その手前の店は、コンクリート建物のように前面が加工してある。美容院で、うちと同じ造りで百年前の木造住宅である」と並びの店を紹介してくれる。錆びれゆく宿場を、残したいという人が多いのだろう。店の中を覗かしてもらうと、カウンターがあり天井や造りは歴史を感じさせる昔のままだ。奥にはテーブル席がいくつかあった。タコのコース料理は税込み三千八百円で、年配客のリピーターが多い。小倉駅や繁華街の近くの宿場跡なので、時代に合った商売はやっていけるということのようだ。以前は室町商店街という鉄柱を両側に立て、看板があったが、鉄が腐り、道の両側に一メートルの高さで鉄柱が寂しげに残って居る。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み