第5話 小倉宿の常盤橋

文字数 587文字

 小倉宿の実態が、中々分からず、以前行った時の写真を出してみたり、ネットを捜したりした。安政の頃の小倉宿の宿場図がネットで見つかった。
 小倉の常盤橋を渡ると長崎街道となり、西の方へ二十七宿場を泊まり下っていけば、長崎に着く。橋の広場の先から宿場となり、街道の両側に合わせて八十軒以上の店が軒を並べ、商いをしていた。西搆口の先には、小倉城を囲む石垣の掘りがあり、西構口の先の橋を渡ると、大門の方へ繋がっている。
 宿場の北側は、野菜の卸し市場の八百屋町に、魚の卸し市場の魚町が広い面積を占めていた。その向こうは海だった。現在はJR鹿児島本線から、向こうの方まで埋め立てられている。宿場の南側は、身分の高い武家屋敷で、その向こうは城の外堀が横たわる構造となっていた。 
 常盤橋のある紫川の東は、船頭町・京町・船場町・鍛冶町・米町・馬借など江戸期の地名を残し、現在も賑やかな小倉の町を形作っている。秋月街道はこの東曲輪を通って行くことになる。
紫川は玄海灘に流れ込む。船が着岸出来るよう石垣で防波堤が築いてあった。ここから山口や大阪へ船を出したり、帰ったり港を利用していた。江戸中期から、門司の大里宿が本土には近いので、船を着岸させることが多くなったという。
 安政の宿場地図をコピーし、小倉室町に行った。宿場には、昔から続く店は残っていない。間口の狭い現代風の店が所々に営業している。
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