第17話 採銅所宿の人々

文字数 1,336文字

国道を呼野から香春に向かう途中に、採銅所駅は「右折」の標識がある。山に囲まれ国道は、旧道のバイパスとなっており、村落があることを見落として通り過ぎてしまった。
旧街道添いにある宿場は、バイパスができてからは、車はほとんど車道も広くて直線のバイパスを利用する。宿場の道は旧式で、車一台通れる道幅がほとんどである。事故は無くなり、住む人は安心するが、人が来なくなり商売は衰退していった。
香春町役場に、採銅所宿場跡の場所を電話で確認すると、「採銅所駅の下の通りが宿場です」と言う。車で後戻りし、駅の標識の所で曲がった。少し坂を登ると駅に突き当たる。無人駅だが、駅前に、大きな近辺案内図の看板がある。大昔は、銅が取れ、宇佐神宮の銅鏡を作り、また奈良大仏の銅も、ここから出荷したという歴史の古い村である。
駅前に自動販売機があり叔母さんが、飲み物の詰め替えをしていた。宿場の事を訊ねると、「結婚し四十年ここに住むが、多分、坂下の通りがそうじゃないでしょうか」と言う。長年住んでも興味が無いと、意識に残らない。山合いの駅は、寂しげである。昔は、何か商売をされていたような大きな二階家がある。歴史のありそうな家の感じがした。
奥で片づけをしているご婦人が見えた。頭を下げると、作業を止めて、こちらへ来て頂いた。宿場の記憶を沢山お持ちの方だった。「嫁いでから四十年間、この家に住んでいます。家の裏の山が古宮神社です。昔から銅が採れたようで、宇佐神宮の銅鏡を作り、神社でお祓いした後、出荷したのです」と説明する。さっきの女性と同世代だろうが意識が違うようだ。生まれは、坂の下を通る秋月街道の宿場で、旅館の娘さんだったという。
「子どもの頃、家は木賃宿をしており、お客を泊めていました。食事付きで、色々な人が長期滞在、富山の薬売りなど、荷物を宿に置き、商いに出かけていました。また、九州大学の研究者が一ヵ月位泊まり、採掘の研究で山へ出かけていました。お馴染さんとなり、長年手紙のやり取りもしました。最近亡くなられました」と木賃宿の思いを感慨深そうに語った
「祖父は風流な人で、俳句や文章作りが好きでした。本業の旅館と建物とを渡り廊下で繋ぎ、隠居部屋を建てていました。子どもの頃物珍しく、遊びに行き、祖父に可愛がってもらいました」と昔を懐かしがる。「宿の方は、母と祖母が切り盛りしり、隠居の祖父は、おとぎ話を作り、地域の雑誌に掲載されました」原物の冊子を家から捜し、見せてくれた。その他、採銅所の村歌を作詞し、最優秀賞として採用されたらしい。才能豊かなお爺さんだったのだ、羨ましい。
「宿場の家の割図も何処かにあったのだが、急に探し出せません」、私は名刺を渡し「出来ましたら、メールで送って頂けませんか」とお願いすると、「主人にやり方を聞いて、送ります」と言ってくれた。採銅所の歌は有名作曲家・森脇憲三が曲作りをしたという。
後日、宿場の商売人の家並みも詳細に書かれた図面を、ご主人から送って頂いた。有り難いことで、感謝のメールを返信した。
採銅所宿は田川郡河原町採銅所にあり、里程標も存在する。木賃宿の現物もあり、宿場の僅かな面影が残っている。是非、行政の方で宿場の面影として、保存策を講じて貰いたいと思う。
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