第14話 本物の徳力宿を目指し

文字数 1,585文字

 徳力宿といいながら、私は別の場所を誤って捉えていた。人のブログを見て、はっと気づいた。徳力宿は、別の場所にあったらしい。「遺構である道標が徳力嵐山駅の近くにある」という、文と石碑の写真があった。この実物はお目にかかったことがない。是非とも一度行って確認したい。九州自動車道を使い四十分で徳力に着いた。
 国道三二二号線の上をモノレールが走っている。嵐山駅近くの神理教の駐車場に車を止め道標を探した。大きな神社で五階建てビルがあり、幼稚園も経営している。日本の古来の神道を信じているらしい。石段を上ると広い敷地に社殿が新しく、デーンと、立派に構築されている。
 教祖である佐野経彦(巫部(かんなぎべ)経彦)の銅像があり、鳥居の向こうには社がある。靴を脱ぎ社殿へお邪魔した。由緒と教祖の写真が掲示されている。賽銭を納め拝礼し社殿を出た。
 隣の庭の奥に、式台のある古民家があり、古風な入口になっている。「宗家」と書いた提灯が、ぶら下がっている。呼び鈴を押すが応答もなく不在だ。も一度、池の周りに行くと、幼稚園児を迎えに来た若いママさんがいた。プリントを示し、場所を尋ねた。池の周りを探してもらうが見当たらなかった。
 境内を別方向から出ると、小径が続いていた。[もしかして秋月街道か]と暫らく、照り付ける太陽の中を歩いた。家は今風の建物ばかりで、古い家は無い。神理教境内へ再び戻ろうとした。途中に、行きには気付かなかった古い日本家屋がある。
 門の呼び鈴を押し、「徳力宿を探しているのですが」と言うと「今、外へ出ます」と返事があり、七十才過ぎのご婦人が話してくれた。
 「私は香春町の出身で、この佐野家へ嫁に来ました。宿場の詳しいことは分かりません。すぐそこの国道沿いの白壁の家が、義兄の家です。兄嫁がこの地の歴史に詳しかったのですが、亡くなりました。今は若い人に変わっているので、どうなのでしょうか」と言う。
 早速、佐野さんの話された白壁の家を訪ねた。国道沿いに広い庭があり、二階建ての新築の洒落た住まいである。若い奥様が幼児を連れて外へ出てくれた。石碑の写真を見せ、在処を尋ねた。「若いので分かりません。家の人が仕事から戻ってきたらメールで連絡しましょうか」と有難い言葉を頂く。名刺を渡しお願いした。
 神社に戻り、社務所の自動ドアが開かないので、手で無理やりこじ開けてみたら、事務員が出てきた。場所を訪ねると、「よく訪ねて来られる人がいます」と先導してくれる。先ほどの池の周りの細道を歩き、宗家の敷地の庭に入った。玄関の横に大きな記念碑があり、漢字がビッシリ刻んである。その裏奥に秋月街道の里程標が、隠れるように立っている。個人宅に、許可なく入ると不法侵入罪となる。一般人が発見できないような、場所に設置されている。これは、少し場所の移動とか考えてもらいたいと思う。江戸時代の遺跡であり、貴重な存在なので御座います。
 里程標には「従是東中津道」「従是北小倉道」「従是南田川道」と刻まれている。この地点からの、方角を示してあり、江戸時代の交通標識として使用されていた実物である。この里程標の存在こそが、宿場だったことの唯一の物的証拠となるのだ。明治の始め、この徳力周辺を神理教さんが買い取られ、社殿等の境内を整備され、宿場が消滅してしまったのだ。漸く幻の徳力宿を発見、満足し自宅に戻った。
 十九時頃に電話が入った「佐野と言いますが」徳力の白壁の家のご主人の声だった。六十歳台で穏やかな口調の方だった。私は丁寧に「徳力宿について知りたいのです」と話した。「あの里程標は真理教の池の石橋の傍にあったのですが、今は、神主の巫部さんの庭に移設されました。紫川の加用付近を置石で川を渡り、呼野の方へ行ったのが街道の道筋です」と、消滅した宿場を紹介してくれた。徳力宿をダブルチェック確認できた。
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