第11話 徳力なのか、小嵐山

文字数 1,742文字

 小倉宿の常盤橋から秋月街道を進み、最初に目指す宿場が徳力宿である。小倉駅発のモノレールが、頭上を走る国道を運転していく。道の両側は、人が住み、それぞれの生き方をしているビルや商店や住宅が立ち並ぶ。ゆく景色に、忙しない現代人の、過ぎ去っていく生活を感じる。
 モノレールの徳力団地の駅近くに、地域密着型のスーパーがあった。車を留め、買い物客に「この近くに、徳力宿というのがありませんか」と尋ねた。地元なので、誰もが知っているのではと思っていた。四人に訊いたが「分からない」「知らない」という。江戸時代にこの地域がどうであったかなど、人々は興味がないだろうか。それとも新しく団地が造成され、昔から住む人は少ないのだろうか。せいぜいお婆ちゃんが生きていた昭和の初め位の話ならば耳にしたこともあるだろう。「江戸時代など、遥か遠い過ぎ去ったことだし、現代社会は忙しい。そんな暇なことを考えている余裕はない」と言われそうだった。
 そばに小倉の常盤橋の方へ下り流れていく紫川がある。「あの川沿いに、地元の歴史を書いた看板がありますよ」という情報を高齢の女性が教えてくれた。どこかに手掛かりはある。足で稼ぎ、多くの人に尋ねるのが道の世界探訪の基本であることを感じた。痕跡をみつけたとき、「訪ねて来た甲斐があった。嬉しい」と思うのが、この小さな旅の楽しさでもある。
早速、上流に向かって歩いて行くと、さらさらと流れる水辺に、泳ぐ魚の群れが透けて見える。紫川の源から流れる水が、この地域では清純で透き通っているのだ。車一台しか通れない山際の道に、立看板がある「秋月街道」とだけ表示されている。車では見過ごすだろうが、歩いているから確認できた。
 雰囲気は、草鞋を履いたお武家様が、歩く姿が似合う景色である。水の流れを緩やかにする堰が設置されており、水面には居眠りしたカモの群れが浮かんでいる。カワウや白鷺も飛んでくる。堰き止められた水に、たくさんの小魚が泳ぎ、鳥たちの絶好のえさ場になっている。平和な風景を眺めていると、心に安らぎを覚えた。
 小倉藩の初代藩主である細川忠興が気に入った気持ちが分かるような気がする。「京都の嵐山に似ているので、小嵐山と名付け、桜を京都から取り寄せ植え、春の桜爛漫の風景を楽しんだ」と、看板には書いてある。
 山裾に細長く、古い住居が立ち並ぶ。多分、この集落が、宿場ではないだろうかと推測した。暫らく歩くと、左手に古い家並みが連なっていた。路地を入って行くと、道は狭いけれど、三百年前には、宿場人や旅人や駕籠かきが往来した雰囲気が、見事に残っている。説明板などはないが「ここは、秋月街道に違いない」と直感した。
 路地から川沿いの道に戻ると、高齢男性が庭で作業をしていた。声をかけると「私の先祖も、ここに住んでいました」という。こういう人に逢って話を聴きたかったのだ。「あの山の峰に出城があり、山道を侍が上り下りしたと、昔話に聞いた」と古老の言伝えを証言してくれる。「川沿いには、関所もあり、人の出入りを調べたらしい」。捜せば、やっぱり知っている人はいるのである。
暫らく、周囲を探索してみたが、遺跡や説明板は何もない。しかし、並んでいる人が住む平家は、時代の変化に対応するようにあちこち改造され、子孫が脈々と住み続けている様子であり、趣がある家々である。中に入らせてもらい、暮らしぶりを見せてもらえば、どんなにか楽しいだろう。しかしそうはいかない、それぞれのプライベートが、厳然としてあるから。
 昔は、川の向こう遥かに、水田が広がっていたらしい。様変わりした現代は、国道三二二線のバイパスが建設され、田畑を潰し造成され、店舗や住宅や高層ビルが群がり、新市街となっている。モノレールや車では二十分で小倉駅へ行くことが出来る。
やよい軒やバーガー店など飲食店も並ぶ様変わりの、市街地になっていた。丁度、昼時だったので私達は、新しい店舗のうどん屋に入った。若い店員たちも「いらっしゃいませ」と元気一杯に声をかけ、お客は良い気分になる。女子店員が、注文するとすぐ、手で握ってくれる炊き立てお握りは、忘れられない程、美味しかった。
 紫川を挟んで、新旧の対照的な街並みが、共存する徳吉地区である。
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