第29話 松崎宿の南北の構口

文字数 593文字

松崎宿の北構口は石垣が縦横二間、高さ一間の石垣が道の両側に積まれていたらしい。現在も石垣が部分的に、両側残っている。近隣の他の宿場では、「此処に構口がありました」という看板表示がほとんどである。東京の品川宿に、これと同じ搆口が現存するらしい。希有な貴重な石垣なのである。
宿場の出口に、南構口というものがある。この領域では久留米、鹿児島方面が南で、小倉、江戸方面が北であり、正式な方角を示すらしい。長崎街道などでは、江戸方面を東構口といい、鹿児島方面は西構口と言うべきだが、地方により呼び名が違っていたのだろう。
 北構口から南構口までは八百メートルあり、途中の道は、何か所も桝形道路となっていて、攻めてきた敵軍が戸惑うように設計されている。私たちも迷いながら目的地へ辿り着いた。
 倒れそうな二階建ての日本家屋がある。鶴小屋という旅籠であり、木戸の門は斜めの支柱をねじで止め、ようやく体裁を保っていた。残された対策は持ち主が大金を出費して保存を選ぶか、倒壊し更地で売り捌くかの判断になりそうである。なんとか、この歴史的建物を行政の力で援助して貰えないものだろうかと切に思う。
 南構口を出て、暫らく車で走ると「一里塚跡」の看板がある。千七百五十年「三井郡往還筋壱里塚」建とある。有馬藩により作られたものらしい。
 ここは長崎街道ではなく薩摩街道である。南の宿場は久留米藩の薩摩街道府中宿となる。
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