9. 脱走
文字数 3,829文字
そのうち部屋の中がずいぶん暗くなり、監視 の兵士がやってきて廊下のランプを点け、パンと水だけの食事が出された。ドアの窓から漏 れてくる灯 りだけの暗い部屋で、三人は惨 めに簡単な晩ご飯を済ませた。
それからまた、三人のあいだに特に会話もなく時間が流れた。川に面している壁の小さくて細い窓の外は、もう真っ暗だ。
カンカンカン・・・!
突然、外から高い音が鳴り響いてきた。
警報音 。大橋の方が、何やら騒然 としている。
「なんだろ・・・。」
アベルが不安そうにつぶやいた。初めて聞く、ただならない音。
「この音・・・起こってるのは、すごく大変なことだよ。」と、リマール。
「ああ、これは・・・・。」
留置所 にまで響くその音を気にしていると、近づいてくる足音も聞こえた。タタタ・・・という軽い足音。これは監視の兵士ではないと分かった。
そして全く予期していなかったことに、ドアの小窓から少女が顔を覗 かせたのである。
ラキアだ。
どう上手くやったのか、ラキアが取調室 で取り上げられた武器だけを持って、助けに来たのだ。
「え、なんで。」
一瞬、唖然 となったあとで、アベルが言った。
「監視の人は?」
リマールがきいた。
「おじさん、外を見たら、慌 てて出て行った。」
警報音の意味でも確かめに行ったのかな・・・と思うも、リマールもレイサーも、一つ考えたくないことが頭に浮かんでいた。この展開 は、もしや・・・と思い、二人とも、ぞっとしながらラキアを見つめている。精神年齢の低さゆえ、まさか・・・そのあどけない顔で、この少女はとんでもないことを・・・。
「ところで、これ何の騒 ぎ?」
一方、山にいて世間をほとんど知らないアベルには、見当 もつかないよう。
「火を呼んだの。」
ラキアは無邪気 に答えた。
レイサーは落ち着こうと目を閉じ、深呼吸をして、それからきいた。
「なあ、ラキア・・・お前・・・さ・・・放火 した?」
そうなら、どんな理由があろうと許されることではない。
するとラキアは、何やら考え込むような顔をして、首をかしげた。
「うーん・・・違うと思う。偽物 の火だから。」
そう、ラキアは精霊使い。
レイサーもリマールも、そしてアベルも、忘れていた! というように顔を見合った。さっき〝呼んだ。〟と表現したのも、だからだ。
しかし、それはどんな火だ?
「ねえ、舟が見えた。」
レイサーやリマールがまだ戸惑 いを隠せないでいるというのに、ラキアが唐突 に言いだした。
「窓から見えた。少し遠くに灯りがついてて、小さい舟が並んでた。船着場 があるよ。今は灯りが消えてるから、きっと誰もいないよ。」
つまりそれは、小舟(を盗ん)で川を渡れるということ? リマールはとっさにそう考えたが、それはさておき、まだ確かめないといけないことがある。
「ちょっと待って、ラキア、さっき言ってた偽物 の火って・・・それ、大丈夫?」
「うん、燃え広がらないから建物は大丈夫だよ。熱いだけ。」
出来 した!
レイサーは、思わずそう叫びそうになった。
そうと分かれば、もう遠慮 はいらない。イスタリア城へたどり着ければ、ルファイアス兄貴から話を聞いているはずの城主がきっと上手く庇 ってくれ、万事解決する。さあ、このボヤ騒ぎのどさくさに紛 れて逃げ出さなくては。
思えば過酷 な旅を続ける中、正常な感覚が麻痺 してきて、大胆不敵 なことを普通にやったり、考えたりするようになってしまった。でも・・・あとできっと全て許 される! アベルもリマールも、そう信じるしかないと思った。
「ラキア、入口の部屋からここの鍵も持ってきて。壁にかかってると思うから。」
リマールが早口で指示した。
監視の男があとで着衣にはしまわなかったので、もとに戻されていることを祈った。
「あ、そっか。」
ラキアは、それぞれの武器といった手荷物を足元に置いて、そこへ急いだ。
幸い、鍵は元通りになおされていた。外へ出ると、大橋の左の塔の一階、入口付近の一部が赤々としていた。大勢の人が集まっている。そこから、何とか消火しようと無駄にあがいている声や物音が、より鮮明に聞こえてきた。普通のやり方では消せないらしい。そりゃそうだ。精霊使いであるラキアが、何か不思議な術だか力を使って出した偽物らしいのだから。
しかし確か、ラキアは、そんな不思議な力を長くは使えないと言っていた。時間が経てば勝手に消え去るのだろう。なのに、関所の衛兵 たち、それに通りかかった人たちはみな一丸 となって、川から必死に水を汲み上げている。誰もほかを気にする者はいない。こちらに目を向けてくる者は、誰も。
一行は、留置所の暗い壁沿いに建物の側面へと回りこみ、船着場を目指して川沿いの並木道 を走った。舗装 された道が続き、街灯 がわずかに立っているが、急な坂を下りた岸辺には今たくさんの人がいる。石がごろごろしていそうだし、早く着くために、桟橋 まで上の道を行く方がいいと思った。逃げたと気づかれる前に、舟を漕 ぎださなくてはならないから。
少し距離があったが、やがて川の上に桟橋がうっすらと浮かび上がり、やっと船着場が辛 うじて見えるところまで来た。
ところがその時、彼らのあいだにサッと緊張が走った。
複数の蹄 の音。駈歩 でぐんぐん近づいてくる。
誰かが馬で追いかけてくる!
ハッと振り向くと、その姿を目視 でも確認できた。街灯の灯りが、一瞬だけ、下を通り過ぎる者を照らす。三人の騎兵だ。
くそ、もう気づかれた。きっと、関所の衛兵だろう。それとも、密偵 や待ち伏せていた刺客 か。いずれにせよ、向こうは馬を走らせてくる。とうてい逃げおおせることはできない。
もし密偵や刺客なら、いよいよ武器をとって戦わねばならない。殺し合いの戦いを!
レイサーは連れている三人を背後に庇 い、剣を抜いた。
「待て待て!」
先頭にいる人物が慌 ててそう声を上げ、従 えている二人をその場に待たせて、馬から下りてきた。
「私は味方 だ。君はルファイアス騎士のご兄弟だろう。」
レイサーは眉間 に皺 を寄せて、相手をじっと見つめた。街灯の灯りがあまり届いていない場所にいるので、顔がよく分からない。
「もう少し近づいて、顔を見せよう。私は、すでに君たちに会っている。まず、その抜き身の剣を収 めてくれないか。」
その声に確かに聞き覚えがあると思い、自分の素性 を知っていることからも考えて、レイサーは少し警戒 を解 いた。
彼は、剣を鞘 に収めた。右手は柄 にかけたままだったが。
「ありがとう。では・・・。」
さらにゆっくりと近づいてくるその男性を落ち着いてよく見てみると、なるほど見覚えがある。やはり、取調室であとから来た衛兵だ。
「どうだ? 今日の夕方に会ったばかりだ、知っているだろう? だが、その時は名乗る必要が無かった。しかし、今は敬意を込めて名乗らねばなるまい。私の名はイシルド。関所に配属されている衛兵の監督 をしている者だ。」
イシルドは少し間をおいた。
一行は、信用してもいいかどうかと窺 うように、仲間うちで顔を見合っている。
やがてその全員が目を向けてきたので、彼は続きを話した。
「それでたった今、マルクス様がお戻りになった。そして、我々にこう命じられた。君たちを丁重 にお連れするようにと。その時、マルクス様は私だけに真実を話してくださった。一緒に来たあの二人の部下は何も知らない。君たちの事情は、あまりほかには知られたくないんだろう?」
彼らはまた、お互いに顔を見合った。この人の話しぶりは、信頼できる者から、もうこちらの何もかもを聞いていると取れるものだ。これ以上疑うのは失礼だと思い、アベルやリマールは素直 に彼を受け入れ、レイサーは武器から完全に手を下ろした。
「分かってくれたようで、良かった。」
イシルドは、ほっとした笑みを浮かべた。
「ところで君たち、ひょっとして、ボートで川を渡ろうとしていたのか。」
「いえ、あの、決してそんなつもりは・・・はい。」
アベルは肩をすくめた。
イシルドは声をたてて笑った。
「いや、失礼。しかし、それはきっと失敗していた。なんせ、あれらのボートにオールは無いよ。夜は全てしまわれる。」
そして、彼はこうも続けた。
「それに、日中は船着場でも検問が行われる。対岸 も同様だ。泳いでは渡れまい。」
それからまた、三人のあいだに特に会話もなく時間が流れた。川に面している壁の小さくて細い窓の外は、もう真っ暗だ。
カンカンカン・・・!
突然、外から高い音が鳴り響いてきた。
「なんだろ・・・。」
アベルが不安そうにつぶやいた。初めて聞く、ただならない音。
「この音・・・起こってるのは、すごく大変なことだよ。」と、リマール。
「ああ、これは・・・・。」
そして全く予期していなかったことに、ドアの小窓から少女が顔を
ラキアだ。
どう上手くやったのか、ラキアが
「え、なんで。」
一瞬、
「監視の人は?」
リマールがきいた。
「おじさん、外を見たら、
警報音の意味でも確かめに行ったのかな・・・と思うも、リマールもレイサーも、一つ考えたくないことが頭に浮かんでいた。この
「ところで、これ何の
一方、山にいて世間をほとんど知らないアベルには、
「火を呼んだの。」
ラキアは
レイサーは落ち着こうと目を閉じ、深呼吸をして、それからきいた。
「なあ、ラキア・・・お前・・・さ・・・
そうなら、どんな理由があろうと許されることではない。
するとラキアは、何やら考え込むような顔をして、首をかしげた。
「うーん・・・違うと思う。
そう、ラキアは精霊使い。
レイサーもリマールも、そしてアベルも、忘れていた! というように顔を見合った。さっき〝呼んだ。〟と表現したのも、だからだ。
しかし、それはどんな火だ?
「ねえ、舟が見えた。」
レイサーやリマールがまだ
「窓から見えた。少し遠くに灯りがついてて、小さい舟が並んでた。
つまりそれは、小舟(を盗ん)で川を渡れるということ? リマールはとっさにそう考えたが、それはさておき、まだ確かめないといけないことがある。
「ちょっと待って、ラキア、さっき言ってた
「うん、燃え広がらないから建物は大丈夫だよ。熱いだけ。」
レイサーは、思わずそう叫びそうになった。
そうと分かれば、もう
思えば
「ラキア、入口の部屋からここの鍵も持ってきて。壁にかかってると思うから。」
リマールが早口で指示した。
監視の男があとで着衣にはしまわなかったので、もとに戻されていることを祈った。
「あ、そっか。」
ラキアは、それぞれの武器といった手荷物を足元に置いて、そこへ急いだ。
幸い、鍵は元通りになおされていた。外へ出ると、大橋の左の塔の一階、入口付近の一部が赤々としていた。大勢の人が集まっている。そこから、何とか消火しようと無駄にあがいている声や物音が、より鮮明に聞こえてきた。普通のやり方では消せないらしい。そりゃそうだ。精霊使いであるラキアが、何か不思議な術だか力を使って出した偽物らしいのだから。
しかし確か、ラキアは、そんな不思議な力を長くは使えないと言っていた。時間が経てば勝手に消え去るのだろう。なのに、関所の
一行は、留置所の暗い壁沿いに建物の側面へと回りこみ、船着場を目指して川沿いの
少し距離があったが、やがて川の上に桟橋がうっすらと浮かび上がり、やっと船着場が
ところがその時、彼らのあいだにサッと緊張が走った。
複数の
誰かが馬で追いかけてくる!
ハッと振り向くと、その姿を
くそ、もう気づかれた。きっと、関所の衛兵だろう。それとも、
もし密偵や刺客なら、いよいよ武器をとって戦わねばならない。殺し合いの戦いを!
レイサーは連れている三人を背後に
「待て待て!」
先頭にいる人物が
「私は
レイサーは
「もう少し近づいて、顔を見せよう。私は、すでに君たちに会っている。まず、その抜き身の剣を
その声に確かに聞き覚えがあると思い、自分の
彼は、剣を
「ありがとう。では・・・。」
さらにゆっくりと近づいてくるその男性を落ち着いてよく見てみると、なるほど見覚えがある。やはり、取調室であとから来た衛兵だ。
「どうだ? 今日の夕方に会ったばかりだ、知っているだろう? だが、その時は名乗る必要が無かった。しかし、今は敬意を込めて名乗らねばなるまい。私の名はイシルド。関所に配属されている衛兵の
イシルドは少し間をおいた。
一行は、信用してもいいかどうかと
やがてその全員が目を向けてきたので、彼は続きを話した。
「それでたった今、マルクス様がお戻りになった。そして、我々にこう命じられた。君たちを
彼らはまた、お互いに顔を見合った。この人の話しぶりは、信頼できる者から、もうこちらの何もかもを聞いていると取れるものだ。これ以上疑うのは失礼だと思い、アベルやリマールは
「分かってくれたようで、良かった。」
イシルドは、ほっとした笑みを浮かべた。
「ところで君たち、ひょっとして、ボートで川を渡ろうとしていたのか。」
「いえ、あの、決してそんなつもりは・・・はい。」
アベルは肩をすくめた。
イシルドは声をたてて笑った。
「いや、失礼。しかし、それはきっと失敗していた。なんせ、あれらのボートにオールは無いよ。夜は全てしまわれる。」
そして、彼はこうも続けた。
「それに、日中は船着場でも検問が行われる。