9. おとり

文字数 3,986文字

 移動中にも、時々、うろついている(ひづめ)の音や足音がしていたが、東側に比べればわずかだ。もともとこちら側に残っていた刺客(しかく)か、追いかけて探しに戻ってきた者たちか。だがとにかく、それらはみな敵に違いないと思った。

 森に降り()もっている()れ草には、夕日の赤い木漏(こも)れ日が射している。もうすぐ日が暮れる。

 しばらく身を潜めていると、運悪くやってきた嫌な気配が、近くの道端(みちばた)で立ち止った。さらには、そこへ複数人(ふくすうにん)が寄り集まってきた。馬から降りて、何か話しをしている。まだ少し距離があったが、辺りが静かなのでかすかに聞き取ることができた。

「奴らが来てる。さっき追いかけられた。」

 嫌な気配の男は、開口一番(かいこういちばん)、そんなことを言った。

 追いかけられた? じゃあ、さっきのはやっぱり。(やぶ)の中で、三人は顔を見合わせる。自分たちにとっての敵を追いかける者とは・・・つまり、味方(みかた)? どこかに味方がいる! ここで感じた気配は、敵ばかりではないかもしれない。

「まずいな・・・早く見つけだして、始末(しまつ)しないと。」

 この物騒(ぶっそう)な言葉は、自分たちに向けられたものだ・・・と、隠れている者たちはぞっとして、(ふる)え上がった。

「隊長はどこだ?」
「向こう側だ。」
「じゃあ合流するか。この人数じゃあ、先に俺たちが捕まっちまう。」
「そうだな。だいたい見て回ったが、こっちにはいないだろ。」

 これを聞いた三人は、ホッとした。こちら側から敵がいなくなる。

「よかった。このままもう少し待って、川辺に戻ろう。そろそろ、レイサーが来てるかもしれない。」

 リマールがささやいた、その時。

「ひゃっ!」

 ラキアの目の前をかすめて、木の枝から何か虫が落ちてきた。
 そのせいで、ラキアはよろめいて、こけた。

 アベルもリマールも息を止めた。

 でも茂みに倒れず尻もちをついただけだったので、一瞬、声は上げたが物音(ものおと)はあまり立てなかった。

 ごちゃごちゃした小枝と、生い茂る植物の隙間(すきま)から(のぞ)いてみると、離れかけた刺客(しかく)たちのうち一人が戻ってきて、ほかの仲間をも呼び戻している。それからこちらを見て、仲間に何か話した。

 そしてついに、その一人は腕を上げて、指をつきつけてきたのである。

 だが勢いよく走り寄ってきたりはしないので、空耳(そらみみ)か? くらいに聞き取れたのだろう。
 それでも、きっと確かめにくる・・・と思い、アベルもリマールも冷や汗をかきながら気配をうかがった。

「こっちに来る・・・。」
 リマールが(するど)いささやき声で言った。
「早く場所を変えないと。」
「でも、ここに注目してる。動けば気づかれるよ。」
「ごめん・・・。」
 ラキアは涙を浮かべた。

 (あせ)ったせいでほったらかしてしまったとアベルは気づき、まだ座り込んだまま立てずにいるラキアを、慌てて抱き起こした。

「大丈夫・・・大丈夫だよ。君は大丈夫だから。」

 すると。

「あたし、あっちに行く。」

 何を言っているんだ? と、アベルは信じられずに少女を見つめた。

「ラキア?」
「あいつらは、あたしには何の用もない。だから、捕まってもきっと大丈夫。」

 僕のせいだ! ラキアはおとりになるつもりでいる。アベルはそう思い、慌てて言った。

(ちが)う、ラキア、そうじゃなくて・・・!」

 いや、言葉としてはそういう意味で言ったのだけど、安心させたくてつい口にしてしまっただけで、ぜったい大丈夫なんて言いきれることじゃないのに。

「ダメだよ、そうとは限らない。」
「いいから・・・!」

 アベルは夢中で手を伸ばしたが、その手は(あみ)で魚をすくい(そこ)ねたように、ラキアの腕とすれ違った。

 ラキアは頭を上に出さないようにして、奴らの左方向へ走り去った。きっと(あと)のことなんて何も考えずに。

 ああラキア、僕はなんてことを・・・!

 一人ではないと思わせるため、ラキアは、(ひろ)い上げた太い枝を(やぶ)の中に走らせながら消えていった。騒々(そうぞう)しい音を追いかけて、恐ろしい気配の全てがそちらの方へ離れていく。ラキアが密になった藪へと逃げ込んだので、その全員がとっさに馬を置き去りにして。

 やがて、辺りがひっそりと静かになった・・・。

 アベルは力無く腕を下ろし、がっくりとうな垂れた。

「行こう。」
 リマールが、アベルの肩に手を置いて言った。
「あいつらが馬を取りに戻ってくる。」
「でも・・・。」
 アベルは顔をくしゃくしゃにして、泣きべそをかいている。

「しっかりして、アベル。レイサーもラキアも、自分のことより君を守ろうとしてくれてる。だから君は、それに(こた)えないと。家族に会うだけじゃなく、もしその時は、必要なら、君が王になるんだ。ルファイアス騎士や、ラルティス総司令官が聞かせてくれた話を理解できたなら、それくらいの気持ちでいなくちゃいけない。僕たちがしてるこの旅はもう・・・そういう旅だ。」

 リマールは、アベルの両肩をつかんでそう言いきかせた。だがそのあとは、(きび)しかった表情を少し(ゆる)めた。

「それに、ここは落ち合い場所じゃないだろ? 二人はきっと来る。信じて、そこで(いの)りながら待とう。」





 レイサーは、太い木の(みき)にしっかりと(しば)り付けられ、身動きできない状態にあった。
 その彼の真正面(ましょうめん)には、仏頂面(ぶっちょうづら)大柄(おおがら)な男。暗殺兵団の指揮官(しきかん)だ。

「俺を痛めつけて吐かせるつもりか。俺は我慢(がまん)強いぞ。(ほこ)りを捨てるくらいなら、死ぬ。」
 男の冷ややかな顔に向かって、レイサーは言い(はな)った。

 実際、状況は絶望的である。気が遠くなりそうな疲労(ひろう)と傷の痛みのせいで、(いさぎよ)いというより、正直、なげやりでやけくそ混じりだ。

拷問(ごうもん)は趣味じゃない。どうせここに一晩(ひとばん)縛りつけて放っておけば、真夜中には()えた狼がやってくる。ここの狼は人を襲うぞ。昔からそうだったらしいからな。人間の味を知っているんだ。」
 男は顔色一つ変えずにそう言った。

 それは(おど)しではなかった。この森には、確かにそのような狼の()れが生息(せいそく)している。夕べもそれを警戒して、先に仮眠をとったレイサーは一晩中見張りをしていた。

 そこへまた一人新たな兵士が現れて、男に何やら耳打ちした。
「薬は持っていませんでした。」
「連れて来い。」

 誰かが捕まった・・・! 薬を持っていなくて、すぐには殺されない者。消去法で考えれば一瞬で見当がついた。レイサーは恐れながら待った。

 やっぱりだ・・・。

 引っ張ってこられたのは、目に涙をためて、べそをかいている女の子。すでに泣きはらした後という感じだった。 

「ラキア・・・。」
 レイサーは目を閉じて眉間(みけん)に皺を寄せ、大きなため息。

「その小娘は妙な術を使う。口に手ぬぐいを()ませて縛っておけ。」

 関所でのボヤ(さわ)ぎを知っているらしい。関所に(ひそ)んでいた密偵(みってい)が教えたのだろうとレイサーは思った。

「その子に手を出すなっ。手を出せば恥ずかしい罪が増えるぞ、この外道(げどう)っ。」
 レイサーはたっぷりと侮蔑(ぶべつ)の念を込めて言ってやった。

「口を(つつし)め。さっきも言っただろ。それ以上は何もしない。だが、この小娘まで狼に食われることになるぞ。さあ、落ち合い場所を言え。」

 レイサーはラキアと目を見合った。
 怖いはずなのに、ラキアの目は急に毅然(きぜん)として、かすかに首を横に振っている。

「お前、ひどい怪我(けが)をしてるじゃないか。狼が来るのは思ったより早いかもしれんな。」

 指揮官の男は、()き出しのまま放置(ほうち)されているレイサーの足の傷を見下ろして、さっきの悪口の仕返しか、バカにしたような口調で言った。

 男の合図(あいず)で二人が動いた。

 ラキアは、両脇からその男たちに腕をつかまれ、レイサーと同じく木の下に座らされた状態でそこに縛り付けられた。胸までぐるぐる巻きにされているレイサーに比べれば、ずいぶん適当に腰の辺りだけを。それでも、ラキアではどうにもならない。レイサーがいる所から、ニメートルほど離れた隣の木の下だ。

 どんなに(かば)ってやりたいか知れなかったが、レイサーには何も、気休めさえもいい加減なことは言えなかった。(くや)しいことに何の手立てもない。ほんのひと欠片(かけら)の希望も勝機(しょうき)もとうてい見いだせない。もはや自分のことは気にせずどうか出発してくれと、ただ祈ろうとしていたところにラキアが連れて来られたのだ。

 指揮官の男は、レイサーの目の前に仁王立(におうだ)ちで立った。そして、レイサーに分からせようと、ラキアの方へ首を振ってみせた。レイサーは、見るに(しの)びない視線を向ける。ラキアは無理やり手ぬぐいを()まされているところだった。

「すでに夕方だ。時間はあまり無いぞ。」

 どこか遠くの崖の(いただき)で、狼の統領(とうりょう)が長く尾を引く鳴き声をあげる。さあ()りに出るぞ、というように。

 レイサーは、刻一刻(こくいっこく)()れてゆく空を見上げた。


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登場人物紹介

アベル(アベルディン)。15歳の主人公。難病の治療のため、1歳の時にイルマ山に住む賢者のもとに預けられたウィンダー王国の王子。神秘の山で育ったため、風の声が聞けるという特殊能力を持つ。弓の名手。

リマール。イルマ山に住む賢者(名医)のもとで勉強している見習いの薬剤師。そのおかげで、とある難病の薬を作ることができる数少ない薬剤師のうちの一人。薬草に詳しい17歳。

レイサー。王族とも親しいベレスフォード家の末っ子。4人の男兄弟の中で、一人だけ騎士の叙任を辞退した屈強のさすらい戦士。そのため、実家のカルヴァン城を出て、イルマ山の麓にある(中途半端な)ツリーハウスを住居としている。

ラキア。ローウェン村の見習い精霊使い。5歳児と変わらない言動ばかりする13歳の少女。

アレンディル。アベルの兄。希少な薬でしか治す可能性がないと言われる難病にかかり、余命一年と宣告された若き王。

ルファイアス。ベレスフォード家の長男。先代王ラトゥータスと、現国王アレンディルの近衛兵。英雄騎士。

ラルティス。ベレスフォード家の次男。南の国境警備隊の総司令官。

エドリック。ベレスフォード家の三男。正規軍の隊長。

アヴェレーゼ。ベレスフォード家の長女。王の近衛兵の一人と結婚した若奥様。

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