10. 身代わり
文字数 4,564文字
アベルとリマールは、二人だけでナノハナ畑にいる。不安と、何より心配事に押しつぶされそうになりながら、仲間たちが無事に戻ってくるのを待っていた。
森の中はかなり暗くなってきたけれど、この川のほとりの開けた場所は、まだわずかに残る伸びやかな光に照らされていた。
できれば、二人が来るまでずっと待ち続けたい。だけど、どこかで次ぎの行動に移る判断をしなくちゃいけない。次の行動・・・すべきことは分かってる。仲間を待つより、優先しないといけないことだ。何より、王様に薬を届けないと。だから、いつまでもここにいてはダメなんだ。分かってる・・・でも・・・ああ、神様。
このあいだ本当にひたすら祈り、そうして天に乞 い続けていると、アベルはふと現実に返って思い出した。
謎の騎兵たち・・・。
彼らがもし味方 なら、お願いします、二人を助けて、どうかここまで連れてきて!
「このまま夜まで待って、二人が来なかったら、僕たちだけで先へ進もう。」
とうとう、リマールが言った。
「嫌だよっ。」
分かってはいても、反射的に本音が口をついて出た。でもそれ以上は、アベルも何も言えなかった。
「絶望して行くわけじゃないよ。」と、リマールは落ち着いた声で言った。「アベル、よく聞いて。本当なら、東へ行けば王都はもう近い。でも、さっきも相談したとおり、今は東へは行けない。だから、まず谷間を北へ向かって、いったん大街道に出る。王都は大街道の通り道にあるから、それほど遠回りにはならない。そして、いい? 僕が言いたいのはここからなんだけど、関守 のマルクスさんが見せてくれたあの地図。大街道をさらに少し北へ超 えたところに、この王国の軍事基地 があった。僕の目にとまったのは、きっとここの谷だ。だから覚えてたんだけど、たぶん遠くないよ。一度北へ行くなら、王都より近い。今夜、頑張って一晩中歩けば、朝には着くんじゃないかな。そして救援 を求める。それに、レイサーがいない今、この先、護衛 なしでは密偵 からも身を守れないよ。とりあえず代わりの護衛も頼 まないと。」
正直 、レイサー以外の護衛なんて、ちょっと考えられないくらい友として(勝手にそう思ってるだけだけど)好きになっていたけど、そんなことは言ってられない。アベルも納得 した。
「もし二人がここへ来て僕たちがいなくても、最初はお互い別々に王都へ行くつもりだったし、あの二人だって分かってるよ。」
「でも、ラキアは一人じゃあ・・・ここには狼 だっている。」
「大丈夫、ラキアにだって自分を守る術 が立派にあるじゃないか。アベル、すぐに二人を捜 してもらえるように頼めば、きっと無事でいるうちに見つけてもらえる。」
「そうだけど・・・。」
「しっ。」と、突然 リマール。
二人は慌 てて息を殺した。
誰かがやってくる。不吉な感じがした。レイサーでもラキアでもない・・・と、感覚で分かった。
まだ探している・・・ということは、ラキアが上手く逃げ切ったか、一人でいるのがバレた・・・捕まったのか!
でも、とにかく今は、二人とも気にすることができなかった。よりによって、暗殺者 の一人に違いないその気配は、自分たちが隠れている方へ真っ直ぐに近づいて来るのである。
もしまた散 り散 りに捜索 しだしたのだとしたら、ここで逃げ出しても、きっと挟 み撃ちにされる。かといって、このまま隠れていても見つかるのは時間の問題だ。
どうする・・・。
アベルは心を決め、リマールにささやいた。
「例え僕が殺されても、王様の命が助かればきっと平和は保たれる。だから、君は薬を持って・・・」
リマールは首を振った。彼にも一つ考えが浮かんだところだった。そして、自分とアベルを見比べる。今は夕方で見え辛 いし、似てはいないが瞳も髪の色も同系色だ。年齢や背丈、それに体格もそう変わらない。
リマールは、ベルト通しから薬を入れた巾着袋を外し、アベルの手を取り、掌 に押し付けて握 らせた。
「さっきも言っただろ?これは君が必ず届けるんだ。王様に会わなくちゃあ。お兄さんに。そして、必要なら君が王に。薬を作れる弟子 はほかにもいる。僕の父さんも第一弟子だ。だから勇気を出して、さっき僕が言った通りに進んで。一人でも、旅を続けて王都へ行くんだ。」
リマールは、リュックを肩から下ろした。中には万能 の通行証が入っている。これがあれば、軍事基地で速 やかに救援が得られる。
次にリマールは、アベルの首からゆっくりと王家のペンダントを外すと、それを自分の首にかけて微笑 んだ。アベルには、それはひどく悲しい表情に見えた。
「アベル・・・僕が倒 れたところには絶対に来ないで。じっと頭を下げたまま、あいつがいなくなるまで待つんだ。そして、そのまま振り返らずに立ち去って。」
アベルは涙を流しながら、のろのろと首を横に動かした。
「約束して・・・お願いだ。」
もし自分の死体を見たら、アベルは気が狂うか、完全に気力を抜かれてしまうとリマールは思ってそう言った。だがアベルの方は、もしそんなことになったら、どっちにしろもう歩けなくなる! という気がしていた。
そのうちにも、追っ手はさらに一歩一歩と二人が隠れている方へ近づいてくる。
ぎゅっと袖 を握りしめてくるアベルの手をつかみ下ろして、リマールはまた微笑み、男の方へは一瞬鋭 い目を向けると、思い切ったように離れた。そして、追っ手の背後へと頭を低くしながら移動した。
刺客 の男は、とたんに物音を追いかけて体の向きを変える。
アベルからじゅうぶんに離れた場所へ来ると、リマールはすっと立ち上がり、堂々と姿を現した。
「僕がアレンディル王の弟だ。」
刺客の男は顔をしかめた。
「嘘 を言え。お前はさっき、もう一人を庇 っていた従者 の方だろう。」
「彼は影武者 で、僕が本物だ。」
「影武者を庇ったというのか。」
「そうだ。彼は身代わりを引き受けてくれたが、人として死なせたくはなかった。それだけだ。」
「しかし人相 も違う。」
「何て聞いていた。金髪に褐色 の瞳、歳は15、そうじゃないか。明るい中では、僕の髪も目の色もその人相書きに当てはまるぞ。」
男はやや黙り込んだ。跡地 で見た時のことを思い出して、言われてみれば、そうだったか・・・という顔をしている。何か混乱 しているような感じだ。
「もう一人はどうした。」
「逃がした。」
「薬は誰が持っている。」
「僕だ。」
「王を見捨て、王弟を置いて逃げたというのか。影武者まで務 めておいて。」
この言葉の意味は?この男はまだ僕が偽物 だと疑 っているのだろうか。リマールは探 るような目で男を見た。
しかし確かに不自然だ。無駄に命も薬も差し出すなんて・・・! それなら逃がすまでもなく奴らの任務 は完了する。なんて浅はかだったんだ・・・!と、リマールは自分の愚 かさを嘆 いた。これでは信じられるはずもない。
そもそも、自分は友ではなく従者 だと思われていた。この男が考えているのはきっと、従者が命をなげうち王弟だと言い張る、苦し紛 れな作戦・・・そうなら、だいたい見抜 かれている。
だが何としてもこの辺りを探させてはならないし、これ以上追わせてはならない。どう言えばまだ信じられる・・・? 薬を持っていないことは、すぐにバレる・・・交渉 ・・・一か八か。
リマールは、やや下へ向けていた視線を上げた。
「薬は・・・彼に託 した。だが、僕がアベルディンであることは本当だ。彼は従者ではなく、友だ。彼はまた身代わりになってくれようとしたが、自分では逃げきれないと言って無理に薬を持たせ、行かせた。実は少し足を痛めたんだ。そのうち腫 れてきて、もたなくなるだろう。」
男は何も言わず、意外にも話を続けさせてくれた。
「僕は友を守りたい。だから話を聞いて欲しい。」
男は言葉を遮 ることなく聞いている。
「僕は今ここで、無抵抗 で、潔 くお前に命を差し出す。ここで手を引いてくれないか。楽に手柄 が立てられるんだ。少しくらい情 けをかけてくれてもいいだろう。」
この状況で、思いつく全てをかけて話しきったリマールは、ただ親友を守りたい一心で男の出方を待った。不思議なほど自分の命は惜 しいと思わなかった。
静寂 に包まれた。
気分が悪くなり、倒れそうな沈黙の中で、リマールは足を踏 みしめて立っていた。
「そうか・・・。」
リマールは、男の顔をよく見ようとした。その声が、奇妙にも穏やかに響いてきたからだ。
「ならば証拠 を見せろ。それができれば耳を貸してやる。ただし、少し時間を与えてやるだけだ。俺がここで手を引いても、どうせほかの刺客 に殺される。さあ、本物だと言い張るなら証拠を出せ、アベルディン殿下 。」
リマールは胸に手を差し込み、王家のペンダントを引き上げて見せた。
刺客の男はまだどこか訝 し気 だったが、リマールにとっては幸いなことに、この男、ほんの少し情けを持ち合わせていた。
「なるほど・・・その願い聞き入れてやろう。」
男は淡々と歩み寄り、リマールの肩をつかんで体を固定した。下手に動けば苦しみが長引くと。そして、とうとう右手の剣を動かし肘 を引いた。
鋭い剣の切っ先が、その胸に突きつけられる。
覚悟を決めて目を閉じたリマールは、深く息を吸い込んだままじっとしている。
一方このあいだ、言われた通りに身動きせず頭を下げたままのアベルだったが、堂々たる態度でしっかりと話すリマールの声はよく聞こえた。もう目には涙が溢 れ、嗚咽 を堪 えるのに必死でいた。だが辛 すぎて死んでしまいたいと思い、目の前がくらくらして、気を確かに保てなくなってきた。
自分は必要な存在、大事な任務 がある、待っている人がいる。犠牲 を払ってでも行かないと・・・まだ辛 うじて気力を残している、頭の中の自分が言い聞かせる。
だけど・・・。
やっぱりダメだ・・・! ああ、こんなの耐 えられない。みんな僕のせいで・・・。
「待て!」
アベルはついに叫 んで、叢 から立ち上がっていた。
「アベルディンは僕だ!」
森の中はかなり暗くなってきたけれど、この川のほとりの開けた場所は、まだわずかに残る伸びやかな光に照らされていた。
できれば、二人が来るまでずっと待ち続けたい。だけど、どこかで次ぎの行動に移る判断をしなくちゃいけない。次の行動・・・すべきことは分かってる。仲間を待つより、優先しないといけないことだ。何より、王様に薬を届けないと。だから、いつまでもここにいてはダメなんだ。分かってる・・・でも・・・ああ、神様。
このあいだ本当にひたすら祈り、そうして天に
謎の騎兵たち・・・。
彼らがもし
「このまま夜まで待って、二人が来なかったら、僕たちだけで先へ進もう。」
とうとう、リマールが言った。
「嫌だよっ。」
分かってはいても、反射的に本音が口をついて出た。でもそれ以上は、アベルも何も言えなかった。
「絶望して行くわけじゃないよ。」と、リマールは落ち着いた声で言った。「アベル、よく聞いて。本当なら、東へ行けば王都はもう近い。でも、さっきも相談したとおり、今は東へは行けない。だから、まず谷間を北へ向かって、いったん大街道に出る。王都は大街道の通り道にあるから、それほど遠回りにはならない。そして、いい? 僕が言いたいのはここからなんだけど、
「もし二人がここへ来て僕たちがいなくても、最初はお互い別々に王都へ行くつもりだったし、あの二人だって分かってるよ。」
「でも、ラキアは一人じゃあ・・・ここには
「大丈夫、ラキアにだって自分を守る
「そうだけど・・・。」
「しっ。」と、
二人は
誰かがやってくる。不吉な感じがした。レイサーでもラキアでもない・・・と、感覚で分かった。
まだ探している・・・ということは、ラキアが上手く逃げ切ったか、一人でいるのがバレた・・・捕まったのか!
でも、とにかく今は、二人とも気にすることができなかった。よりによって、
もしまた
どうする・・・。
アベルは心を決め、リマールにささやいた。
「例え僕が殺されても、王様の命が助かればきっと平和は保たれる。だから、君は薬を持って・・・」
リマールは首を振った。彼にも一つ考えが浮かんだところだった。そして、自分とアベルを見比べる。今は夕方で見え
リマールは、ベルト通しから薬を入れた巾着袋を外し、アベルの手を取り、
「さっきも言っただろ?これは君が必ず届けるんだ。王様に会わなくちゃあ。お兄さんに。そして、必要なら君が王に。薬を作れる
リマールは、リュックを肩から下ろした。中には
次にリマールは、アベルの首からゆっくりと王家のペンダントを外すと、それを自分の首にかけて
「アベル・・・僕が
アベルは涙を流しながら、のろのろと首を横に動かした。
「約束して・・・お願いだ。」
もし自分の死体を見たら、アベルは気が狂うか、完全に気力を抜かれてしまうとリマールは思ってそう言った。だがアベルの方は、もしそんなことになったら、どっちにしろもう歩けなくなる! という気がしていた。
そのうちにも、追っ手はさらに一歩一歩と二人が隠れている方へ近づいてくる。
ぎゅっと
アベルからじゅうぶんに離れた場所へ来ると、リマールはすっと立ち上がり、堂々と姿を現した。
「僕がアレンディル王の弟だ。」
刺客の男は顔をしかめた。
「
「彼は
「影武者を庇ったというのか。」
「そうだ。彼は身代わりを引き受けてくれたが、人として死なせたくはなかった。それだけだ。」
「しかし
「何て聞いていた。金髪に
男はやや黙り込んだ。
「もう一人はどうした。」
「逃がした。」
「薬は誰が持っている。」
「僕だ。」
「王を見捨て、王弟を置いて逃げたというのか。影武者まで
この言葉の意味は?この男はまだ僕が
しかし確かに不自然だ。無駄に命も薬も差し出すなんて・・・! それなら逃がすまでもなく奴らの
そもそも、自分は友ではなく
だが何としてもこの辺りを探させてはならないし、これ以上追わせてはならない。どう言えばまだ信じられる・・・? 薬を持っていないことは、すぐにバレる・・・
リマールは、やや下へ向けていた視線を上げた。
「薬は・・・彼に
男は何も言わず、意外にも話を続けさせてくれた。
「僕は友を守りたい。だから話を聞いて欲しい。」
男は言葉を
「僕は今ここで、
この状況で、思いつく全てをかけて話しきったリマールは、ただ親友を守りたい一心で男の出方を待った。不思議なほど自分の命は
気分が悪くなり、倒れそうな沈黙の中で、リマールは足を
「そうか・・・。」
リマールは、男の顔をよく見ようとした。その声が、奇妙にも穏やかに響いてきたからだ。
「ならば
リマールは胸に手を差し込み、王家のペンダントを引き上げて見せた。
刺客の男はまだどこか
「なるほど・・・その願い聞き入れてやろう。」
男は淡々と歩み寄り、リマールの肩をつかんで体を固定した。下手に動けば苦しみが長引くと。そして、とうとう右手の剣を動かし
鋭い剣の切っ先が、その胸に突きつけられる。
覚悟を決めて目を閉じたリマールは、深く息を吸い込んだままじっとしている。
一方このあいだ、言われた通りに身動きせず頭を下げたままのアベルだったが、堂々たる態度でしっかりと話すリマールの声はよく聞こえた。もう目には涙が
自分は必要な存在、大事な
だけど・・・。
やっぱりダメだ・・・! ああ、こんなの
「待て!」
アベルはついに
「アベルディンは僕だ!」