「一年・・・そうか。」
窓辺に立った若き王アレンディルは、13年もの時を
遡り物思いにふけった。
王といえど、まだ23歳という若いその体は、
厄介な病に
侵されている。
発症すれば高い確率で死に至ると言われる難病。症状に気づいて、そうと分かった時には余命一年と診断される状態だった。
しかし、実は、その病を治すのに効果があるとされている薬が、たった一つだけ存在する。
臓器不全に
陥る前にそれによる治療が上手くいけば、救われる可能性も大いにあった。ただ、その薬を手に入れるのが
容易ではなかった。それは
希少な薬草から、それを薬とすることができる限られた者の手によって作られる。昔は、イルマ山に住む
賢者だけにそれができた。
王都アンダレアより西にそのイルマ山を
擁するここは、ウィンダー王国。
王より分け与えられた土地を各貴族が治め、王の
統治に協力することで、国全体の
秩序が保たれている。その土地を守る貴族の頭首は城を持ち、普通は長男が父親の跡を
継ぐ。国はおおかた
治安が良く、実り豊かで
繁栄していた。
気高く連なる青い山脈。羊の群れがのんびりと暮らす牧場。今年も豊作の果樹園や農場。生き生きと
潤う森林。きらめく大河・・・。
アレンディルは、己が治める国のそんな美しい風景と、幸福に満ちたにぎやかな街の様子を、
憂えるように見つめ続けている。
というのは、次に王位を継ぐ者が、安心して国を任せられるような
人柄ではないからだ。それは亡き先代王の弟。
叔父である。彼は、器の大きい父とは対照的に
気性が
荒く、お
世辞にも善人とは言えない
横柄な振る舞いで、
邪な考えを抱き、父を何度か怒らせたこともあった。
やっと窓辺から離れたアレンディルは、
疲れたようにアームチェアーに腰を下ろし、
肘掛けに両腕を乗せて力無く後ろへもたれかかった。
「アベルディン・・・。」
そしてつい、これまで
懐かしみ
愛おしく思い出すことはあっても、長く口にすることのなかったその名をつぶやいた。
その頃、会議の間は困惑と
焦りで
騒然としていた。集まっているのは、各地を治める貴族の頭首や、そのほか国の権力者たち。その誰もが先のことを悲観して、意見よりも不安に満ちた言葉を口々に飛ばし続けている。
「
陛下が余命宣告を受けた。」
「
婚儀の日取りが決まったばかりだというのに。一年ではアリシア姫との間にすぐに子ができたとしても、まだ産まれてもおらぬかもしれん。子ができさえすれば、ムバラート様の
継承順位は遠のくが。」
「もし王が・・・などということになれば、王国は北のベルニア国と
統合されることになる。北は今や、洗脳された兵士が
横行する
腐敗した土地だ。」
そこはウィンダー王国内にありながら、自然と一つの国として成り立ってしまった、先代王の弟ムバラートに与えられた領地。実際には、好戦的な兵士をつくりだしている
宗教的組織のようなものだった。
「アベルディン様は今、どうしておられる。」
ある時、一人が思い切ったように口にした。
ラトリ市一帯を
領地として
治めているイスタリア城の城主だった。
突然、その場は静まり返った。
まさに
失言や
禁句を聞いてしまった時の反応である。
そして数秒後、ラクシア市一帯の領主、ベレスフォード家の長が、代表するかのようにその言葉の意味を確認した。
「生きておいでかどうかも分からん。その存在を知っているのは、ごく限られた者だけだ・・・そなた、何を考えている。」と。
これにイスタリア城の城主、エオリアスは己の考えを述べた。
「殿下(アベルディン)がもし生きてお戻りになれば、法律上は次期王位継承者だ。ムバラート様の好きにはできなくなる。陛下の病は、アベルディン様が
患われたものと同じ。助かる道は、あの希少な薬にかけてみるほかあるまい。ならば、いずれにせよその生存を確かめに行くことになる。もし生きておいでなら、王室へお戻りいただけるよう事情を話してみては。」
「しかし、生きておいでだとしても、殿下には
一切の記憶がない。ゆえに、
表向きは王位継承権を失った存在。何の教養も身に着けず成長した山の少年では王にはなれないと。アベルディン様自身にも出生を知られぬようにするため、先代の王も
王太后様も、アレンディル様も、
殿下が2歳におなりになったあとは、一度もお会いすることがなかった。」
「だが、もし生きて成長しておられれば今は15歳。教養や礼儀作法を習得するのにまだ遅くはない。」
平常心を失いかけるほど
切羽詰まっていた各代表者たちだったが、このやりとりには互いに顔を見合わせ、しばらく黙って自身の中で
葛藤した。
「しかし誰を送る・・・そのような
難しく荷の重い役を果たせる者は。」
やがて、また別の一人がそう言い出した。
会議の間は、再びやや長い沈黙に
覆われた。
そして・・・。
「我が息子、ルファイアスを。」
ベレスフォード家の
長ラドルフが言った。
「おお・・・!」
室内に
歓声にも似たどよめきが起こった。
「ルファイアス騎士か、それはいい。」
イスタリア城の城主、エオリアスは少し
興奮気味に同意した。彼についてはある意味、ベレスフォード家の長、つまり実の父親よりも知っている。
「ルファイアス騎士、彼のほかにはいない。」
と、また違う席から聞こえ、そのあと次々と
賛同の声が上がった。