9. 戦士の勘

文字数 2,478文字

 先に完食したレイサーは、食後の珈琲(コーヒー)が出て来るのを待ちながら、窓の外や店内を観察した。この頃には、ほかの客はもう食事を終えて部屋へ戻っていた。よって、吹き抜けのこの食堂に今いるのは、レイサーとリマール、そして、空いているテーブルを順番に()いて回っている従業員の青年だけだった。

 青年はそのあと、壁際の小さなカウンターに入った。そこの棚には酒類がズラリと並んでいる。夜更けには、そこはバーになるに違いない。本当なら一杯ひっかけたいところだが。

 そんなことを考えながら眺めていると、二階から宿の主人が下りて来た。彼は厨房へは入らず、食堂の片隅(かたすみ)にあるその狭いカウンター席に座り、何やら書き物を始めた。恐らく帳簿(ちょうぼ)をつけているのだろうと、レイサーは、何となくその背中に目をやっていた。

 すると、不意に首を向けてきた主人と目が合った。その時、なぜか一瞬ビクッとされたように見えた。

 レイサーがへんに顔を(そむ)けず堂々としていたので、主人は取りつくろうような笑顔でこたえてから事務仕事に戻った。

 レイサーは、妙な気分にとらわれた。戦士の(かん)が危険を知らせているのに気づいた。

 それである時、ふと見てみるとまた合った。今度はさりげなく視線をそらす。それからは目を向けずに意識していたが、やはり度々どうも視線を感じる。

 ますます嫌な予感が(つの)った。

 主人が帳面(ちょうめん)を閉じて椅子から立ち上がり、カウンターの中へ入っていった。そして従業員の青年と話をしたあと、青年の方はそこから出て来てほかの場所へ行ってしまった。代わって中へ入った主人は、何か小さな動きで作業をしている。しばらくすると、際立(きわだ)つ珈琲の香りが食堂に充満(じゅうまん)した。

 間もなく、珈琲カップを二つ()せたトレーが主人の手によって運ばれてきた。

 彼がこちらを見ていたのは、珈琲を出すタイミングを見計(みはか)らっていたのかとも考えられるが、そのままウェイターの青年に(まか)せておけばいいことで疑念(ぎねん)は残った。

「料理はお口に合いましたか。」
 カップをテーブルに下ろしながら、主人はにこにこと話しかけてきた。
「はい、とても美味しかったです。」
 リマールが答えた。
「明日はやっと気持ちよく晴れてくれそうですな。次はどちらへ旅をされる予定です。」
「ガルシアへ。」と、レイサーが言下(げんか)に答えた。

 リマールはちょっと驚いてレイサーを見たが、すぐに(さっ)して何も言わなかった。

 次の目的地は、ヘルメスの知り合いの精霊使いが住むローウェンの村だ。ガルシアはここからそこまでの間にある町の一つだが、全く違う道を行くことになっていた。

「それはいい。毎日広場で音楽が流れ、大道芸が盛んだという陽気な街。しかしお連れ様の具合が良くないのでは、出発を少し遅らせた方がよろしいのでは。部屋は明日も空いていますし、お安くしておきますよ。」
「ありがとう。様子を見て考えます。」
「では、そろそろお連れ様のお食事を用意しましょう。」
「お願いします。」

 主人は愛想のいい笑顔のまま空いたリマールの食器を下げて、厨房へ姿を消した。

 レイサーは、また窓の外を見た。馬はまだそこにいる。それらの主人は店内で(くつろ)いでいるのかもしれない。

 やがて、バランスよくセットになったアベルの食事が運ばれてきて、結局、馬の持ち主の正体(しょうたい)は分からなかった。





 レイサーとリマールが部屋へ戻ると、アベルがドアを開けてくれたが、鍵を外す音がしなかった。

「鍵をかけなかったのか。」
 (あき)れたようにレイサーが言った。
「あ・・・はい。」
 驚きと不安のせいで掛け直すのを忘れていた・・・と、アベルは気づいた。
「しっかり用心はしておいた方がいいぞ。」
「すみません・・・。」

 リマールはおかしいと感じた。それくらいで分かりやすく落ち込むなんて。気にはなったものの、リマールはただ笑顔で食事が載ったトレーを差し出す。 
「ほら、見て。これにあと珈琲がついていたけど、ほかは僕たちと同じ食事だ。すごく美味しかったよ。」

 そしてそれは、机が無いので寝椅子の(はし)に置かれた。 

 アベルは料理に目を向けたが、悲しいことに食べたいという気持ちがどこかへ行ってしまっていた。不安で息が詰まりそうだった。

「・・・どうかした?」 
「あ、ううん、なんでも・・・ありがとう。いただきます。」

 アベルは、トレーの横の空いている場所にのろのろと腰掛けた。しかし食事に手を伸ばし、フォークをつかみながらもうわの空で、ため息を止めることもできない。
 どうしよう・・・不用心(ぶようじん)に出て顔を見られたって・・・言いだしにくいな。

「・・・顔を見られたのか。」

 そう声をかけてきたレイサーを見て、アベルは肩をすくめた。そして、おずおずと二人の顔を(うかが)う。

「はい・・・ノックをされて、二人が戻ったのかと・・・すみません。」

 レイサーとリマールは、顔を見合った。だがリマールはかすかに苦笑してみせただけで、レイサーは全く表情を変えなかった。 

「まあ・・・気にするな。それより、ちゃんと食っておけ。」 

 これは意外だった。リマールは予想通りの反応だったが、レイサーには多少 (しか)られると思っていたアベル。彼はいくらか気が楽になり、やっと食事に手をつけた。

 だが問題はそこじゃない。顔を見られたことは、やはり気にしなければならないし、反省すべきだ。レイサーがそれを口に出さないのは、自分が沈みこんでいるのを見て、きっと察してくれたのだろう。言わなくても分かっていると。

 そうあれこれ考えながらも、アベルは完食した。気持ちの問題で美味しさは半減してしまったが、それなりに味わうことができ、胃袋は満たされた。 

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登場人物紹介

アベル(アベルディン)。15歳の主人公。難病の治療のため、1歳の時にイルマ山に住む賢者のもとに預けられたウィンダー王国の王子。神秘の山で育ったため、風の声が聞けるという特殊能力を持つ。弓の名手。

リマール。イルマ山に住む賢者(名医)のもとで勉強している見習いの薬剤師。そのおかげで、とある難病の薬を作ることができる数少ない薬剤師のうちの一人。薬草に詳しい17歳。

レイサー。王族とも親しいベレスフォード家の末っ子。4人の男兄弟の中で、一人だけ騎士の叙任を辞退した屈強のさすらい戦士。そのため、実家のカルヴァン城を出て、イルマ山の麓にある(中途半端な)ツリーハウスを住居としている。

ラキア。ローウェン村の見習い精霊使い。5歳児と変わらない言動ばかりする13歳の少女。

アレンディル。アベルの兄。希少な薬でしか治す可能性がないと言われる難病にかかり、余命一年と宣告された若き王。

ルファイアス。ベレスフォード家の長男。先代王ラトゥータスと、現国王アレンディルの近衛兵。英雄騎士。

ラルティス。ベレスフォード家の次男。南の国境警備隊の総司令官。

エドリック。ベレスフォード家の三男。正規軍の隊長。

アヴェレーゼ。ベレスフォード家の長女。王の近衛兵の一人と結婚した若奥様。

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