7. ガゼルの宿泊街

文字数 2,337文字


 あの嵐の日以来、大気の状態はずっと不安定だ。何度か持ち直したものの、雨は降ったり止んだり、すっきりしない天気が続いている。じめじめした空気の中にいるのも、さすがに(つら)くなってきた。病気になりそう・・・。ああ、(かわ)いた清潔(せいけつ)な場所でゆっくりと休みたい・・・。

 そういうわけで、一行は、森を抜けて最初にたどり着いた店舗(てんぽ)がそろう場所で、初めての宿をとることにした。一日中歩き続けて、やっとたどり着いた宿泊街だ。その大通りの道端(みちばた)には、『ガゼルの宿泊街へようこそ!』と書かれた看板(かんばん)が立っていた。とはいえ、聞いていた通り集落(しゅうらく)ほどの規模(きぼ)しかない。森の中で刺客(しかく)の姿を確認したことを思うと少し不安だったが、住人たちの様子は友好的で、怪しい人影や馬を見かけることもなかった。つまり、あの男たちがこの街で聞き込みを行ったということはなさそうである。前回の経験からして、また誰かが(そそのか)されている可能性を(ぬぐ)いきることはできなかったが。

 そこで念のために、アベルは外套(がいとう)頭巾(ずきん)目深(まぶか)(かぶ)り、うつむき加減(かげん)で歩いた。今は刺客の方が先を行っていると考えられたが、これからやってくることも有りうる。

 太陽は、その姿をはっきりと現さないまま、西の山脈の後ろへ沈んでいくところだった。この日は、その仄かに赤く染まった夕焼け空を見ることができた。

 一行(いっこう)は、茶色い三角屋根から煙突(えんとつ)が突き出している、二階建ての宿の前で足を止めた。ここはどうだろうと、互いに顔を見合わせる。すぐそばに見える宿の馬小屋には、宿泊客が(あず)けている馬が二頭いた。宿で働く者がエサをやり、世話をしている。()いていそうな感じだった。

「すみません、今日は何名泊まっていますか。」
 その従業員(じゅうぎょういん)に、レイサーがそう声をかけた。

 二十歳(はたち)くらいに見えるその若者は、振り向くと愛想よく答えた。
「三組です。今日は()いていますよ。今なら夕食にも間に合います。宿自慢の菜園で()れた新鮮(しんせん)な野菜と、鶏肉を使った美味(おい)しい食事をお出ししますよ。」

 なかなか商売上手な彼に、そうして一行は釣られるまま宿泊先を決めた。

 従業員の青年は一行の先に立って案内し、入口を入ったところにある食堂から、声を張り上げた。
旦那(だんな)さん、お客様がいらっしゃったよ。三名様ご宿泊だよ。」

 奥の厨房(ちゅうぼう)から(ただよ)う、恐らく鶏肉を料理している(うま)そうな匂いに誘われていると、そこから恰幅(かっぷく)のいい男性が一人現れた。ぱたぱたと床を鳴らしてやってくる。

「ようこそ、お越しくださいました。お部屋は二階になります。」

 レイサーとリマールに隠れるようにして後ろにいるアベルは、うつむいて頭巾(ずきん)目深(まぶか)に被っているが、特に怪しまれるような感じはなかった。

「食事は部屋でも食べられますか。」
 リマールが問うた。
「申し訳ございません、通常はお断りさせていただいてます。どうぞ、食堂でお召し上がりください。」

 テーブル席では、すでに三組の宿泊客が談笑したり窓の外を眺めたりして、夕食が出されるのを待っている。実際、客は二人連れが二組と、お一人様の五名だ。

 一行は、従業員の青年のあとについて、食堂の中央から伸びている階段を上がり、二階の客室へ向かった。
「こちらになります。」 
 青年は先に入室して、薄暗い部屋のランプを点けた。それからドアの横に立ち、客を中へ通した。
「間もなく夕食の時間ですから、落ち着きましたらすぐに食堂へお越しください。」
 彼は一つお辞儀(じぎ)をして、一階へ下りて行った。

 (あわ)い黄色がかった漆喰(しっくい)が塗られ、ヘッドボードが無く幅の狭いベッドが二台と、寝椅子(ねいす)が用意された部屋だった。それだけで、部屋の中はほぼいっぱいになっていた。いちばん背が低いアベルが寝椅子を使うことになった。東側に窓が一つだけある。広い通りに面していて、人や馬が行き交う様子を見下ろせた。

 彼らは(すみ)の空いている場所に荷物を下ろして、少し相談をした。

「思いきって宿をとってみたが・・・。」
 レイサーがベッドにすとんと腰掛けて言った。

 それぞれ、自分の寝場所を自然と居場所にしている。それ以外は通路で、ほかに(くつろ)げるスペースが無かった。

「夕食、どうしよう。」
 リマールがアベルを見て言った。

「僕はやっぱり、あの人たちに顔を見せる気にはなれません。」と、アベルはレイサーに向かって言った。

 (ふもと)の森の住人ベルゴの話を聞いてから、まだそう離れていないということもあって、顔を見られることに多少の恐怖を覚えるようになってしまった。

「俺もその方がいいと思う。奴らはまだ俺が加わったことはきっと知らないから、もし奴らがここへ来て聞き込みをしても、情報が二人組のままなら(なん)(のが)れられるかもしれない。」

 レイサーの意見を聞きながら、自分で言い出したことで分かってはいても、アベルはがっかりせずにはいられなかった。ああ、温かい鶏肉料理・・・食べたかったな。

 リマールが見るに忍びないほど、アベルはあからさまに肩を落としている。

 自分だけいい思いはできない性格のリマールは、「上手く言って、夕食持ってきてあげるから。」と、そこで明るい声をかけた。


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登場人物紹介

アベル(アベルディン)。15歳の主人公。難病の治療のため、1歳の時にイルマ山に住む賢者のもとに預けられたウィンダー王国の王子。神秘の山で育ったため、風の声が聞けるという特殊能力を持つ。弓の名手。

リマール。イルマ山に住む賢者(名医)のもとで勉強している見習いの薬剤師。そのおかげで、とある難病の薬を作ることができる数少ない薬剤師のうちの一人。薬草に詳しい17歳。

レイサー。王族とも親しいベレスフォード家の末っ子。4人の男兄弟の中で、一人だけ騎士の叙任を辞退した屈強のさすらい戦士。そのため、実家のカルヴァン城を出て、イルマ山の麓にある(中途半端な)ツリーハウスを住居としている。

ラキア。ローウェン村の見習い精霊使い。5歳児と変わらない言動ばかりする13歳の少女。

アレンディル。アベルの兄。希少な薬でしか治す可能性がないと言われる難病にかかり、余命一年と宣告された若き王。

ルファイアス。ベレスフォード家の長男。先代王ラトゥータスと、現国王アレンディルの近衛兵。英雄騎士。

ラルティス。ベレスフォード家の次男。南の国境警備隊の総司令官。

エドリック。ベレスフォード家の三男。正規軍の隊長。

アヴェレーゼ。ベレスフォード家の長女。王の近衛兵の一人と結婚した若奥様。

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