p72 たぬキノコ

文字数 1,648文字

 校門を通り過ぎたところで、ひと(きわ)大きなどよめきが校庭に設置されている土俵のほうから聞こえてきた。きっと担任のぶちかましで、公民教師の壺が割れたのだろう。


 ソロも見たい取組(とりくみ)だったが、今はそれどころではない。
 キャピタルの勝利は見届けた。
 あとはもう、急いで遠くへ逃げないと。


 いつの間にか、灰が降り始めている。飛び交うバッタが減り、死骸を隠すように火山灰が積もり出していた。
 

 時間がない。


 公共交通機関が麻痺する前に、少しでも遠くへ行かなければ。
 白く(かす)んだ視界の中、ソロは一之江駅まで走った。
 電車に乗り込んだあとも、自宅へ着くまでの間も、ずっと脳内で『牧神の午後への前奏曲』が流れていた。


 顔に当たる柔らかな感触、手の平に残る温もり。


 触感に残っている記憶は、どれも現実のリョウとは似ても似つかぬ柔らかさだった。


 自宅であるゴミ屋敷へ飛び込むと、ソロは旅支度(たびじたく)を始めた。
 リュックは学校へ置いて来てしまったから、その辺の袋を掴んで旧式のデバイスと、着換えをつめた。ゴミの中に隠しておいた『シロネコ宅急便』の株を一単元買うために貯金していた金額を確かめる。


「どこまで行ける」


 慌ただしく金額を確認していると『校長の』と書かれた封筒が一緒に出て来た。


 去年、落雷で全焼したプロトタキシーテス自然公園の見学料金を、たぬキノコとソロの分を校長が立て替えてくれたのである。始業式に渡そうと思っていたのに、その時にはもう蝗害(こうがい)が始まっていて、校長は軍に捕獲、ではなく、保護されて会えなくなっていた。


「どうしよう」


 封筒を見て、ソロは途方に暮れた。
 最後に会った時、校長の頭は深紅の山茶花(さざんか)だった。
 造形美に(ひい)でた校長のビジュアルに、ソロも去年、だいぶ熱を上げた。


 その時、インターホンが鳴った。


「誰だこんな時に。宅急便か」


 ソロはアジア救済連盟か自治体から送られてくる日用品が届いたのだと思い、慌てて玄関に向かった。


 現在、ソロのように保護者や親戚がおらず、子供だけ残されてしまった事例が増えていることが社会問題となっている。行方(ゆくえ)も生死も、きのこ化してしまったのかどうなのか不明となっている者が多い中、ソロの祖父と母のようにいつ、どこで、きのこ化してしまったのか判明しているのは、運が良い方のケースと言える。


 ソロのような子供たちの生活費や物資は、国からの補助金や住民票を置いている各自治体、アジア救済連盟などから支給されている。


 だが、玄関にいたのは宅急便ではなく、懐かしい(けもの)だった。


「たぬキノコ」


 浮島の中でも最も発展を遂げ、慢心ゆえに貪食(どんしょく)のナラタケを生み出し壊滅寸前まで(おちい)ったタヌキの浮島から意思を持って地上へ舞い降りた天使、たぬキノコ。


 枯葉によく似たきのこを両耳の間に生やし、ソロが去年もっともしつこく言い寄った生き物。おおらかで広い心を持ち、優しさと常識を兼ね備えた哺乳綱食肉目イヌ科タヌキ属食肉類。


 モノマネに()け芸達者であり、難点は愛についてガタガタうるさいところくらいか。


 そのたぬキノコが、灰の積もった体で、健気(けなげ)に玄関の前に立っていた。
 そして口からバッタの脚がちょっと出ていた。


「元気だったかい」


 口もとをモグモグさせるたぬキノコを見て、ソロはバッタなんて食べないでほしいと思った。もっと、こう、シャクトリムシとかカワイイ虫でたんぱく質を摂取してほしい。


「そんなに()っちゃいのに、どうやってインターフォン押したんだよ・・・・・・」


 すぐさま捕獲してその身に顔をうずめたい衝動と、とにかく抱っこしてナデナデしたい衝動と、懐かしさと愛しさと、早く逃げなければという気持ちがせめぎ合って、それ以上は言葉が出てこなかった。


 たぬキノコも口をモグモグしながら、玄関でじっとソロを見上げた。


 バッタが顔周りに来れば、(けもの)らしくサッとパクついている。


「バッタ、食べない方がいいぜ」


「あとちょっとで、この味ともお別れだからさ」


 そんな潤んだ瞳で言われても。


「今のうちに、いっぱい食べとかなきゃと思ってね」



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