p38 ピアノどろぼう

文字数 1,813文字

「俺にBM菌を流し込んだ奴」


 聞いてはいけないことを聞いてしまった気がして、ソロはぎくッとした。
 たしか去年、校長の雷が直撃して包帯マンと化したバンクから、そんな話をチラッと聞いたような。
 

 ひょっとして、バンクもソイツにきったないBM菌を流し込まれて、恨んでいるのか。


 気まずい空気が流れて、ソロは話題を変えた。


「今弾いた曲、何ていうんだ」
天城越(あまぎご)え」
楽譜(がくふ)貸してくれよ、オレも()けるようになりたい」
「俺も貸りた楽譜(がくふ)でな。又貸(またが)しはできない」
「早く返せよ、持ち主に」
「持ち主が帰って来ない」
 またも身の置き所の無い空気になってしまった。
「夢でもいいから再会したいんだが、出てこない」
「早く帰ってくるといいな、ソイツ」
「俺が『天城越え』を()きたいとリクエストしたら、すぐに楽譜(がくふ)を探して持って来てくれた。チビだったリトル・マッスルのお守もしてくれたし、いい奴だった」
「え、じゃあキャピタルも知ってんの? 」
「リトル・マッスルの愛称はそいつが付けてくれたからな。まだ覚えてると思うぜ」
 リトル・マッスル(がら)みでは、オレは詳細を聞けないな、とソロは思った。
「俺は戦地へ戻るそいつに、この曲を捧げたかった」
「戦地で死んじゃうかもしれない人に、殺していいか確認を取る曲を? 」と言いそうになって、ソロは黙った。


 いい奴だったと言ってはいるが、何か恨みがあるのだろうか。
 長年の不摂生(ふせっせい)をBM菌とともにバンクに流し込まれて頭に来ていたが、コイツも同じ被害者かと思うとなんだか不憫(ふびん)に思えてきたので、ソロは許してやることにした。


「気が向いたら、クソ坊ちゃんも祈ってくれ。楽譜(がくふ)の持ち主が、俺のもとへ帰って来るように」


 自分の父親と同じように、帰って来ない人がたくさんいるのだとソロは身に染みた。
 この会話が成り立たない生物にも、そんな存在がいるのだ。


「お前みたいに、探している奴が自分の中に居たとかいうオチだったら良かったんだがな」


 不整脈が末期なのかと思うほど大きく脈打った。冷や汗が流れる。


「それじゃ、このピアノはありがたく頂いて行くぞ」
「待て」
「ちゃんと返す」
「今『頂いて行く』って言っただろ」
「お前は別に練習したい曲ないだろ」
「練習したい曲があるか無いかじゃなくて」
 いつのまにやらバンクの部下と思しき隊員たちが外で待機しており、ピアノを運ぶために軽トラまで準備している。完全に職権乱用(しょっけんらんよう)である。


「ピアノは実家に運び込む。()きたくなったらいつでも来い」
「ていうかオレんちのピアノだろうが」
 隊員が勝手に上がり込んでピアノを運んでいる。
 大事などんぐりを灰にされた怒りが、再び込み上げてくる。
 ソロの怒りを知ってか知らずか、バンクは呑気(のんき)に『天城越え』を口ずさんでいる。


「誰かに盗られる くらいなら あなたを 殺していいですか」


 天城越えの歌詞だろうか。作業音に(まぎ)れてよく聞こえない。


「何があっても もういいの」


 むざむざ運ばれていくピアノを前にしながら、バンクの美声で途切れ途切れに聞こえてくる『天城越え』も良いとソロは思った。灰にされたどんぐりの恨みが遠のいていく。


 ピアノも楽譜(がくふ)も無いのなら、篠笛(しのぶえ)を探し出して練習しようと思った。
 五本調子(ごほんちょうし)篠笛(しのぶえ)ならきっとどこかにあるはずだ。
 メロディは覚えたから、音を探しながら練習すれば良い。


「恨んでも 恨んでも」


 とぎれとぎれで聞こえる歌詞が、物悲しくて物騒な気がしたが、メロディが好きだ。
 ソロは、自分も本物のリョウに『天城越え』を捧げたいと思った。


 ピアノが軽トラで運ばれていくのを見送った後、バンクも一緒に去るのかと思いきや
「俺の用事は済んだ。寝る」
 と言うなり横になってしまった。
「帰ってくれないんか」
「ここで寝る」
「み(そら)ゆく捕食者が来るかもしれねーんだろ。()ずの(ばん)をしろ」
「来たら起きる。おやすみ、クソ坊ちゃん」
 バンクはそれだけ言うと、さっさと眠ってしまった。


 起きているのが馬鹿らしくなってしまったので、ソロも布団に戻ることにした。
 だが、布団の上にキャピタルが乗っかっており使用不可になっていたので、バンクの軍用コートを奪った。
 

 代わりに、バンクには先ほどパクられたピアノの楽譜(がくふ)と金属バットを上から掛けてあげた。
 起きる気配が一切なかったので、ソロはバンクのコートの中で眠った。
 マスク越しでもヤニ臭くてゲンナリする。
 リョウの爽やかで愛しい香りが恋しくなって、ソロは涙ぐんでしまった。


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