p31 税金ドロボウ

文字数 2,037文字

 羽ばたきが、脚の(とげ)が、そこかしこにぶつかる。
 床に手を置けばうごめく感触、足を動かせば()いまわる感触、ゴーグル越しに腹部のドアップやら顔やらが隙間なく映る。ソロの衣服の(そで)やマスクとゴーグルを押し上げて、中へ避難しようとバッタ(ども)(むら)がり、(かじ)りついて来る。


空気よりもバッタの密度が濃い。


キャピタルの願望は何なのか。


リョウの(まぼろし)は体温を(ともな)い、匂いまで再現されていた。そんな精巧な(まぼろし)に、なぜ(まど)わされないのか。


 キャピタルが無言でバッタの(かたまり)状態の捕食者を叩きのめすたび、自宅が揺れて天井や家具の上から灰と(ほこり)がどっさり落ちて来る。バッタの死骸もキロ単位の量で降って来る。 

 痛む胸を押さえながら起き上がると、軍のサイレンの音が聞こえてきた。
 尻の下でバッタが潰れる渇いた音が嫌だった。
 死にきれなかったもの(ども)(はね)や脚の(とげ)から痙攣(けいれん)が伝わってくるのも鳥肌が立つ。


「うるせーからサイレンは消してって電話して・・・・・・」
「バカヤロ、それじゃ近所のひとが捕食者に警戒できねーだろ。ホント自分勝手なヤローだぜ」
「くそっ・・・・・・」
 

 動悸が苦しくて美少女(仮)どころではない。


 やがて、玄関から複数の軍靴が慌ただしく上がり込んでくる音が聞こえてきた。
 その先頭に立つ小さなシルエットが視界の端に映って、ソロは死んだふりをすることにした。


 視界の端に姿が映り込んだだけでピアノバージョンの『シューベルトの軍隊行進曲』が脳内から勝手に流れ出す。大好きな曲だったのに、トラウマの登場曲と成り果ててしまった。


首尾(しゅび)よく行ったか。リトル・マッスル」


 キャピタルの声に似ているが、それよりも上質で低い声である。キャピタルのヘッドライトに照らされて、軍服に身を包んだ小柄な少年が現れた。
 ソロの胸くらいの身長で、(ひさし)にくっきりと歯形(はがた)が付いた制帽(せいぼう)目深(まぶか)(かぶ)っている。


「兄ちゃん、外でその呼び方すんなし。まだ交戦中だし」
 バッタの死骸がキャピタルの膝下(ひざした)まで積み上がっている。
「そいつは生け捕りにする。退(しりぞ)け、リトル・マッスル」


 (せま)い屋内でおぞましいほどバッタが密集する暗闇に、柴田バンクが素顔を(さら)して現れた。ソロとキャピタルがいろんな意味で恐れてやまない地獄の軍人である。
 
 バンクに触れたバッタ(ども)は次々と灰になり果て、焦げたような臭いが辺りに立ち込めた。隊員を含めソロもキャピタルも素顔ではいられない状況なのに、バンクだけが顔を(さら)して涼しい顔をしている。


 バンクは対象物(たいしょうぶつ)を瞬時にして灰にする危険な生物であり、真の姿は180越えのシュッとした大男である。
 去年、(つる)の捕食者ツル太郎の襲撃をうけて首が取れかけたソロの治療に、自身の※BM菌を大量に使用し、このように()っさくなってしまった。
目深(まぶか)にかぶった制帽からのぞく(すぐ)れた鼻梁(びりょう)が、()っさくなってもなお男前である。


※Brothers in Arms Mycorrhiza(ブラザーズ イン アームズ マイコリザ。Brothers(ブラザーズ)の『B』とMycorrhiza(マイコリザ)の『M』で通称BM菌。軍が開発した対捕食者用の、協力者を引き寄せる菌糸。


「会いたかったぜ『み(そら)ゆく捕食者』テメーのせいで俺の冬休み」
「兄ちゃーん、学校に明日の早退届だしてきたけどさぁ、おれいつ病院行けばいい?」
 バンクが捕食者へ引導(いんどう)を渡している最中(さいちゅう)に、バッタまみれのキャピタルが柴田家の業務連絡(ぎょうむれんらく)の確認を取りに来た。
 バッタが(たか)り過ぎて、もはや捕食者なのか人間なのか区別がつかなくなっている。
「午前中」
「何時」
「午前中ならいつでもいい。親父に顔見せてこい」
「昼飯食ってからでもいい? 」
「じゃあ午後でいい」
「何時」
「食った後ならいつでもいい」
「行かなきゃダメ? つまんないから行きたくないんだけど」
「兄ちゃんだって、きったない親父の顔なんか見たくないし、つまんないけど行ってんだ。我慢しろ。こいつをちょっとだけ灰にするから待ってろ。生け捕りにしたいんだ」


 幻覚でエサをおびき寄せる危険な捕食者を生け捕りにしたいとは、いったい何事だろう。
 上からの命令なのだろうか。


「なんでぇ? 」
「大人の事情だ」
「兄ちゃんばっかずるい。おれにくっついてるバッタも早く灰にしてよ」
「ちょっと待ってろ。み(そら)ゆく捕食、うん? 」
 死んだふりをしているソロの耳にもバンクの『うん? 』が明瞭(めいりょう)に聞こえた。



 今この瞬間、あってはならない事態が起こった気がする。



「いなくなっちゃった」
 連隊長殿という地位に見合わない無責任な発言に空気が凍った。
 あんなバッタの(かたまり)、見逃す奴があるだろうか。


「兄ちゃん何やってんだよ、連隊長殿のくせに。税金ドロボー」
「何だぁその言い方ア! 」
 暴言は開戦の引き金である。
 ※お(かんむり)となったバンクと、普段は(わり)と聞き分けが良いのに何かの拍子で反抗期を思い出すキャピタルの不毛な兄弟喧嘩が勃発(ぼっぱつ)した。

 ソロは早く終わってくれと(いの)りながら、死んだふりを続行した。


※お(かんむり)…不機嫌なこと。怒っていること
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