p80 留年の足音

文字数 2,267文字

 リョウは答えなかった。


「泣いていいなんて、いつもエラそうなこと言って悪かった」


 あんなひどい視線に、いつも(さら)されていたのだろうか。だとしたら


「謝ってばかりだね、ソロは」
「だって」
「いいんだ、平気だったから」
「平気なわけがないだろ。オレはすごく怖かった」


 ソロもあまり他人から受け入れられない性質(たち)だが、あそこまでの悪意や敵意のこもった目を向けられたことは無かった。
 問答無用で『排除しなければ』という視線を向けられたことは、まだない。


「ソロがいたから、何も」
「いじめられて、泣いてばかりで」
「泣いてばかりだったけど、何も怖くなかった」


 リョウは上半身だけ起こし、ソロに手を伸ばした。


「抱きしめて」


 言われるがまま、ソロはリョウを抱きしめた。もたれかかるようにソロの胸に抱かれたリョウは、幸せそうに眼を閉じた。
 健気で、可愛くて、ソロは胸がいっぱいになってしまった。もう、今すぐどうこうしてやろうなど、不届きなことができなくなってしまった。
 筋肉痛でさえ、どこかへ飛んで行ってしまうほどに。
 

 ただひたすら、ツル太郎が邪魔だった。
 リョウの手から遠ざけるため、ツル太郎の()れ上がって赤くなっている方の腕を集中的に()ったがビクともしない。寝息を立てているくせに全然リョウの手を放しそうもない。


「さっきまで『オレがカッコよすぎて直接お話できない』って恥ずかしがってたのに、急に、抱きしめて、なんて」
「ツル太郎が来たら、そういうのは()せた」
「何でよッ」


 リョウは笑って、答えなかった。
 ソロは本物のリョウが自分の腕の中にいる幸せを()みしめた。
 もう、ツル太郎が手を離さなくても良かった。


「どうして、オレのとこへ戻ってきてくれたの」
「ツル太郎とガラテアの胎内にいたときから、BM菌に呼ばれてた。生まれたあとも気になってソロのBM菌を探してみたら、課外授業でヒイラギの木陰(こかげ)で雨宿りしてた。あの時に、浮島から雨と一緒にソロの中へ降り立った」
「そんな簡単に寄生できるんかい」
「BM菌が迎え入れてくれたから。到着するなり、アベイユたちと仲良くなれて良かったと思ったら、み空ゆく捕食者を怒らせて」
「リョウだと思ったんだ。なんか知らんけど」
「バッタまみれのみ空ゆく捕食者を、私かもと思った時にはもう、ソロは幻覚に(とら)われていたんだよ。もう、危なくて見ていられなくて、つい、交代しちゃった」


 そのせいで(おのれ)が美少女であると勘違いし、しなくてもよい経験を沢山してしまった。


「会いたかったから、オレはリョウの幻覚を見たんだ」


 リョウはなにも言わず、ソロの胸に顔をうずめた。


「なんで幻覚だなんてウソついた」
「み(そら)ゆく捕食者と話がついたら、すぐに離れるつもりだった。でも、結局、長逗留(ながとうりゅう)してしまった」
「恋の歌を置いて、遠くへ行ってしまうんか。オレを置いて」
「あれはBM菌にお願いされて選んだんだよ」
「BM菌とお話できるんか」
一時(いっとき)とはいえ、ソロの中で一緒に過ごしたから。話、って言うより、意思が流れて来る。良いヒトだよ、BM菌は。黄ばんでないし」
「黄ばんでるのは

だ。Tシャツも黄ばんでた」
「あれは黄ばみじゃなくて、ただの黄色」
「黄ばんだTシャツばっか着やがって。去年も黄ばんだTシャツで欠点者保護者召喚(けってんしゃほごしゃしょうかん)()(いど)んでた」
「黄ばみじゃなくて黄色だってば。そういえば、BM菌が、きっと来るって言ってた」

の話なんかしたくない。あの曲が脳内に」


 『偃月(えんげつ)ッ』『首尾よく行ったか』『いなくなっちゃった』などの合いの手入りのシューベルトの軍隊行進曲が(せま)っていた。


「ソロ」


 リョウはソロの腕に抱かれながら、うわ言のように続けた。


「ヒイラギの木陰(こかげ)で雨宿りをしていたあなたを見て、いてもたってもいられなかった。雨に()けて、会いに行かずにはいられなかった」
 

 ソロはリョウを()()いた。もう、どこへも行かせたくなかった。
 

「会いたくて会いたくて、まるで呪いみたい」


 ヒドイ言いようである。


「呪いって。もうちょっと他に言い方あるだろ」
「だって・・・・・・」


 豊かで硬い髮質が、艶のある黒髪が、柔らかい頬が、温かさが、離れ難さを訴えかけてくる。
 その離れ難さときたら、言われてみれば、確かに呪いのようにも思える。
 他の誰かに盗れるくらいなら、殺したいとまで思ったのだから。
 でも、そんなこと、もう思わなくてもいい。
 

「リョウは季節の始まりに(ともな)う雨の匂いがする」
「そんな匂いがするんだ」
「オレはこの匂いが好き」
「私もソロのお日様の匂いが好き。日向(ひなた)の猫みたいないい匂い」


 ソロは腕の中で今にも寝入(ねい)ってしまいそうなリョウを見て、その(ひたい)に無意識に口付けた。
 なんで、リョウはいつもオデコにしかキスをしてくれないんだろう、とソロは疑問を抱いていた。それが、口付けする側になって、初めてその謎が解けたのだった。


「おやすみ、リョウ」


 ソロはひと(きわ)強くリョウを抱きしめた後、静かにピアノのあった部屋から出た。
 音を立てないように自分の部屋へ向かった。
 リョウと逃げるつもりで学校を飛び出してきたけれど、もう、自分も眠たくなってしまった。


 すると、たぬキノコがやって来た。


「ツル太郎のとこにいなくていいんか」
「リョウがいるから大丈夫。ここで休んでもいいかい? 」
「いいに決まってんだろ」
「おやすみ、ソロ」
 たぬきノコは布団の上で丸くなると、すぐに規則正しい寝息を立て始めた。
 それに(なら)って、ソロも目を閉じた。
 何か大事なことを忘れている気がしたが、今は、とても幸せな気持ちで眠りの世界へ旅立った。






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