p7 瀕死の捕食者

文字数 1,442文字

 四人で目を閉じて耐えていると、何かを引きずるような音が羽音に紛れて聞こえてきた。


 ソロが音につられて顔を上げた。


『見るな』


 ソロの菌根菌(きんこんきん)に、誰かの声が届いた。


 アベイユでもバンビーナでもザッヴァトーキョーでもない。
 女にしては低すぎて、男にしては高すぎる声だ。


『見てはいけない』
 

 ソロの中で『牧神の午後への前奏曲』が勝手に流れ出した。
 

 リョウの好きな曲。


 警告を無視して、ソロは立ち上がり辺りを見回した。


 バッタの大群が数を増して、凄まじい勢いでぶつかって来る。ゴーグルに付着したバッタの黒い分泌液を乱暴に拭うと、黒く(かす)んだ視界に影が映った。


 バッタの一塊(いっかい)だ。
 何かがバッタに(たか)られている。
 それが(うごめ)く影のようにソロの(かす)んだ視界に映った。

 
 バッタに(たか)られているのがリョウのような気がして、ソロは思わず、マスクとゴーグルを脱ぎ捨てた。ひと目で良いから、その姿を見たかった。
ツツジの街路樹を飛び越えて、(うごめ)く影に向かって手を伸ばした。


 バッタが一斉に飛び立ち、ソロに(むら)がる。
 暗色(あんしょく)群生相(ぐんせいそう)に視界を(おお)われ、いよいよ何も見えない。

 台風の雨滴が当たるようなけたたましい羽音。大顎で皮膚を齧られ、血が滴り落ちる。フードの隙間から入り込んだバッタ共は髪の毛に群がり、完全に食料だと思われている。



『見るなと言ったのに』


二度目の警告が菌根菌(きんこんきん)を通じて聞こえた時、ソロの意識が突如、途絶えた。



「まっしゃん」
「松本さん」
 体を揺さぶられた振動と、顔周りに異変を感じてソロは目覚めた。
 

 頭皮と唇に鋭い痛みが走った。
 むせ返るようなバッタ共の分泌液臭(ぶんぴつえきしゅう)に混じって、血の臭いが上がってくる。顔中血だらけだ。 髪の毛も生え際を根元まで(かじ)られて血が(したた)り落ちて来る。



「えらいこっちゃ。別嬪(べっぴん)台無(だいな)しや」

 ベッピン?

「バトー、ハンカチとかティッシュないの? 」

「ウチが持っとるわけなかろ。アレはケンカ売る時に敵にぶつけるモンや。ウチは平和主義者やで。バンビ持っとらんのん」

「決闘するときにぶつけるのは手袋でしょ。生きて行くのにハンカチ必要ない。持ち歩かない」

 女子女子(じょしじょし)ぃ見た目なのに、二人とも必須と思われるアイテムを持っていない。

 女子という生き物は意外と腕白(わんぱく)なのかもしれないとソロは思った。

「オレ、持ってるから平気・・・・・・」

「さすが、美少女はやっぱりハンカチ持ち歩いてるんだね」

 ビショウジョ?

「せやせや、別嬪(べっぴん)はハンカチ持ち歩いてんねん」

 ベッピン?

 さっきから何の話なのか、解説を求めるようにアベイユに視線を送ると、茫然(ぼうぜん)と立ち尽くしていた。


「あべい」


「すごいよ、松本さん。いきなりバッタの(かたまり)に突っ込んでいったと思ったら、急に変身して追っ払っちゃうんだもん」


「バッタに(たか)られて死にかけの捕食者も逃がしたるなんて、博愛の化身(けしん)や。ゴーグル(くも)ってよう見えんかったけどな、そんでもわかるくらいのどえらい別嬪(べっぴん)やったで」


 ソロが辺りを見回すと、確かに、バッタの数が減っている。

「松本さんがさ、こう、なんか緑色のバーッて出したら、バッタがそれに食いついて、イイ感じで集まったとこでポーイって」


 何が何だか知らないが、とにかく危機を脱したようだ。


「今のうちに公園に戻ろう。捕食者のこと、みんなに知らせないと」


 アベイユの一声で一同はハッとすると、雨で固まった灰の道を引き返し始めた。


「痛たた・・・・・・」


「どうしたの、アベイユ」


 バンビーナが胸ポケットからアベイユを取り出すと、頭を抑えていた。


「バッタに頭を(かじ)られちゃった」

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