p43 ルロイ神父

文字数 1,291文字

「え」
 キャピタルに感づかれた。
 だが、泣いているのを見られても、なぜか平気だった。


 以前の自分だったらどこぞへ逃げ隠れしていただろうに。
 しかし、この心境の変化に戸惑う余裕と思考が、今のソロには無かった。


 何も考えられず、ゴーグル越しに、涙で潤んだ瞳をまっすぐキャピタルに向けて凝視してしまった。ガスマスクで表情が読めないが、キャピタルもこちらを凝視しているのがなんとなく伝わって来る。


「食いモンあるぞ。もとはといえばお前んちのだけど」


 まだガスマスクも外していないというのに、キャピタルが自分の食料を自発的にソロに勧めてきた。ソロの異常を察している。


「ところで林田さんは、山羊のアバラとどういうカンケイなんでっか」


「山羊のアバラ? 」


「あすこの隅っこに居る、まっしゃんとかいう痩せ犬や。なんぞ、友達なんでっしゃろ? 」


 相変わらずの口の悪さである。だが、


 良いぞ! よっしゃん!
 そのままリョウのそばにオレを召喚(しょうかん)してくれい!


 とソロの全細胞がよっしゃんへ向けて歓声を送った。
 だが、脳内を流れるのは1.5倍速の『ラデツキー行曲』や『フニクリ・フニクラ』などの明るい曲ではなく、昨晩のバンクの『天城越え』である。


 クラスの女子に対する嫉妬が、ソロの脳内の選曲まで狂わせている。



 『誰かに 盗られる くらいなら あなたを殺して いいですか』



 脳内で不穏なバンクの『天城越え』が流れる中で、「会いたかった」とリョウに優しく声を掛けられるのを、ソロは期待して待った。


 だが、いつまでたってもお呼びが掛からない。


 しびれを切らして、ちょっとだけリョウの方へ振り返った。
 リョウの方は(まぶ)しくて直接見れない。
 見たら多分、リョウがカッコ良過(よす)ぎて死ぬ。


「よっしゃん、何て口の()き方やの」「痩せ犬なんて言っちゃメッ」など、よっしゃんをたしなめる声しか聞こえてこない。


「山羊のアバラもナニ無視しとんのや。友達だったんやろがい、こっち来んか。林田さんに挨拶せぇ」


「めっ、よっしゃんっ。悪い子、めっ」


 アベイユ、バトー、バンビーナが両手のひとさし指をせわしく交差させ打ちつけた。
 国語の教科書の『握手』に出て来るルロイ神父の指言葉である。


「ワシ、悪いコやあらへん」


 娘さん三人に指言葉で責められて、よっしゃんはタジタジである。


 そうこうしている内に一時間目の国語が始まってしまい、結局、ソロはリョウと言葉を()わせなかった。


「ん-んっんっんっんっんーんー・・・・・・」


『天城越え』をブッた切ってキャピタルの必殺の鼻歌『ウェラーマン』が耳に飛び込んできた。

 どうしようもない腐ったハミングだが、今のソロには救いの調(しら)べ。
 物騒で切ない『天城越え』を遠ざけて、ソロの平常心を呼び起こしてくれる。


「元気出せ、ソロ」


 ガスマスクも外していないのに食料を勧めるキャピタルに、ソロはハッとした。



 コイツに心配されている。
 なんて不甲斐(ふがい)ない。
 情けなくて消えてしまいたい。



 キャピタルの気づかいが(かえ)ってツラい。
 その時、授業が始まっているというのに、誰かがこちらに向かって足音が聞こえてきた。
 国語の先生の足音ではない。
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