p27 異形頭たちのブレインストーミング

文字数 2,825文字





「教科書に載っていない短歌の推薦文・・・・・・? 」
 豪華なデザインのフルフェイスベネチアンマスク姿の国語教師が、松本ソロが提出した答案用紙に違和感を覚えた。


 国語教師のベネチアンマスクは豪華さの中にも(はかな)さと(うれ)いを感じさせる退廃的なつくりであり、要はただのお飾りに成り下がった当代随一(とうだいずいいち)無用(むよう)長物(ちょうぶつ)である。

「どうしました。その見掛け倒しの役立たずのマスクに、またバッタが入り込んだのですか」
「学年主任。このマスク高かったんですから、そんなこと言わないで下さい」

 バッタがそこかしこから入って来るので、しょっちゅう授業も中断している。



「その頭の両脇についてるモコモコから細かい毛が舞うんです。クレームが私のもとに殺到しています。その豪奢(ごうしゃ)なドレスも道を(ふさ)いで邪魔です。布に挟まったバッタが生きたアクセサリーの(ごと)くうごめいているのもどうかと思います」


 蝗害(こうがい)が始まってからというもの、校長が軍によって捕獲、ではなく、保護されて不在なのもあって、教師陣は思い思いの格好で職場へ出勤し異常事態をエンジョイしている。


「そういう学年主任は、アイスホッケーのマスクと皮ジャンが13日の金曜日ぽくて怖い、って陰口を叩かれているじゃありませんか」


「そうでしたか、それは知りませんでした。傷つきました」


「申し訳ございません、悪気はなかったのです。学年主任がそんなナリでナイーブでデリケートだとは知らなかったのです」


「いいんです、教えていただきありがとうございます。以後、気を付けます」


「本題に戻りましょう。実は一年一組の松本さんの回答が妙なのです。他の先生方にも見て頂きたい」


 国語教師の呼びかけで、ソロの解答用紙に職員が集まった。


 蝗害(こうがい)でなければ全員職質レベルの格好をした集団と成り果てている。
「『人を思ふ こころ木の葉に あらばこそ 風のまにまに 散りも乱れめ』ほう、古今和歌集ではありませんか。小野貞樹(おののさだき)の」
「これは小町の『今はとて わが身しぐれに ふりぬれば 言の葉さへに うつろひにけり』とセットの歌です。単品では推薦しないのでは? 」
「古今和歌集と百人一首に分かれてますから遠慮したのでは」
「※①蜻蛉日記(かげろうにっき)の※②藤原倫寧(ふじわらのともやす)と※③大鏡の※④菅家(かんけ)の歌があるのに、何を遠慮することが」
※①蜻蛉日記・・・平安朝の日記文学、作者は右大将藤原道綱母。
※②藤原倫寧・・・蜻蛉日記の主人公の父。
※③大鏡・・・平安後期の歴史物語。
※④菅家・・・菅原道真の尊称。
「解釈が現代語の雰囲気になってしまっていますね。しかし『まにまに』に関しては琴線に触れるものがあったのか、かなり強火で推してますね。ほぼ『まにまに』のことしか書いてありませんね。『まにまに』に首ったけなのが伺えます。そうとう気に入ってますね」
「図書館という図書館が封鎖され、わが校の図書室も固く閉じられています。それぞれの歌をどこから調達したのでしょう」
「たしかに不思議ですね、デバイスを駆使(くし)したとしても、どうやって拾い集めたのでしょう。好きだからという理由で選んだにしても、松本さんが大鏡と蜻蛉《かげろう》日記まで網羅(もうら)しているとは思えません」
「49番と783番だけ、なぜ番号が振ってあるのでしょう」
倫寧(ともやす)菅家(かんけ)の歌は物語の一部だからではないでしょうか」
倫寧(ともやす)の『君をのみ たのむたびなる こころには 行く末とほく おもほゆるかな』は 『あなただけが頼りです、娘をどうぞお願いします。私は遠くへ行ってしまいますが』と訳せます。これは陸奥守(むつのかみ)として倫寧(ともやす)が京から離れる際、婿(むこ)の藤原兼家(かねいえ)にあてて詠んだ歌です」
「『流れゆく われはみくづとなりはてぬ 君しがらみとなりてとどめよ』は太宰府へと流されていく菅原道真の歌。私は水の藻屑(もくず)のような身になってしまいました。我が君よ、どうか(水屑(みくず)をせき止める)しがらみとなって、私をとどめてくださいと宇多法王へ救いを求める歌です」
「番号が振っていない二つの歌は、頼りにしている人物に、助力(じょりょく)を仰ぐ内容です」
「49番『みかきもり 衛士(えじ)のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ ものをこそ思え』は、御垣(みかき)を守る衛士(えじ)らが警備のかがり火を夜な夜な()く。あの火のように、私の思いは夜になると燃え盛り、昼は火が消えるがごとく私の心も消え入るばかり。あの人への恋心が夜を()がす・・・・・・」
「みかきもりは皇居を守る衛兵。防人(さきもり)
西面(せいめん)北面武士(ほくめんぶし)同様、現代に蘇ったエリート戦闘集団ですが」
「783番は何でしょう。『人を思ふ こころ木の葉に あらばこそ 風のまにまに 散りも乱れめ』は、お前への気持ちが、もし木の葉のように軽い気持ちならば風のままに散り乱れるだろうが、俺はそんな軽い気持ちで言ってるんじゃない――、う、ううう、うう」
「どうしました、泣いているのですか。涙が松本さんの答案用紙にこぼれ落ちていますよ」
 涙に暮れるのは壺を頭にかぶった公民教師であった。
「実は、壺が頭から取れなくなってしまったのです」
「 !? 」
 場の空気が一瞬にして固まる。一大事である。
「マスクとゴーグルを面倒くさがるからそんな事態に見舞われるのです。どうします、私の大鎌で首を切断しましょうか」
 ペストマスクの数学教師の申し出に、公民教師は首を横に振った。
「いえ、私のことは良いのです。申し訳ありません、軽い気持ちで壺を被ってしまった愚かな自分を情けなく感じて泣いてしまったのです。貞樹(さだき)が軽い軽い詠むから心に深く刺さってしまったのです」
「そうでしたか。壺が外れた(あかつき)には、涙を超えた笑顔を我々に見せてくださいね」
「49番の御垣守(みかきもり)は現代では軍人が(にな)っています、783番は連隊番号では」
 校長なき今、最高権力者の教頭から鶴の一声が上がった。
「番号が無い歌は助力(じょりょく)(あお)ぐ内容。松本さんは軍の助力を仰いでいるのでは」
 壺頭(つぼあたま)から教頭へ注目が集まった。
 この方は虫が校長室に入り込むと真っ先に校長に頼られる奇特(きとく)な人物である。
 蝗害(こうがい)という異常事態においても、好き勝手な格好で出勤する下々の者どもとは違い、きちんとスーツを着て模範的な格好で職務を(まっと)うしている。
「みかきもり 衛士(えじ)のたく火の 夜は燃え・・・・・・御垣(みかき)を守る衛士らが警備のかがり火を夜な夜な()く・・・・・・。夜な夜な、何かが松本さんの家へ現れる・・・・・・? 」
 しかしこの空間では、何故かまともであることが異常性を掻き立ててしまい、教頭の突飛な発想に、教師一同『うーん』となってしまった。
 みんな狂っていればそれが常識となって目立たないのだが、なまじ世間一般の人が共通に持っている当たり前の知識と判断力を維持した人物が混ざると、それが悪目立ちしてしまい異端と化してしまうのである。
 教頭は奇特(きとく)な方であるが、たった一人の常識人であるゆえに気の毒な方でもある。
「失礼しまー。一年一組の柴田キャピタルです。明日の早退届持ってきましたぁ」
 まともなのに異常に見えてしまう教頭から、職員室への来訪者へ注目が移動した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み