第37話

文字数 1,050文字

(37) 塑像(そぞう)のような目をして……
 「このまんま喋らんで汽車降りるろ…」
 惣二がそう言うと昇がまた頬を膨らませ空気を噛み始めた。惣二が慣れた玩具(おもちゃ)をいじるように人差し指で頬を押した。塑像のような目をした昇の唇がぷーと鳴った。押した分だけあまりに簡潔に鳴ったので、間髪を入れず二人は笑い崩れた。

 列車が駅に近づき速度を落としていく。駅の灯りが窓の形をして車内を移動する。動く窓の外に確かに巡査がいた。巡査から一番遠くへ二人の列車が着いた。
 「ええかノボ…どっちか留められたら必ず片方は逃げろや…手はず通りら…」
 少し先で他所(よそ)のおかかが留められ、背負ってる袋を取り上げられて大きなタライに米が(あら)わにぶちまけられた。おかかの執拗な言葉に巡査は取り合わない。二人は歩く順番を入れ替え惣二が前に立った。巡査は同時に二人を見た。
 「おめさんらあ、ちょっこし待てやー…」
 巡査はおかかに袖を引かれて横を向いた。惣二が背中越しに素早く昇の腕を引いて先に行かせ背中を強く押した。巡査は身を乗り出したが、惣二が大声で
 「お巡りさん米!」と言って、外套のボタンを外した。巡査は惣二の胸元を見て、「…おもしぇねっけ…」と呟いた。惣二は首から、二つに分かれた米の詰まった布袋を下ろして巡査に渡した。巡査は絞られた端を少し広げて米を見た。
 「闇米らなあ…おめさんダメらいやー…」皺を濃くして笑った。
 「お巡りさん!米!返してくんなせぇ!」おかかが必死に懇願している。巡査は惣二の米袋を足元に置いて外套を被せた。おかかは食い下がって折れない。
 「おめさんはもう行けやー」巡査は惣二を追いやった。かかの”素直に帰って来い“という言葉が惣二の頭に染みついている。
 
 とぼとぼと駅の改札へ歩き始めた時、頭に電気が走るように光景が浮かんだ。…巡査が米袋に外套を被せた。惣二は駅の片隅へ数歩、暗闇に紛れて考えた。……なんで寒いのに外套を脱いで米に被せたんら?……心臓が強く胸を打って鼓膜を叩く…さっきのおかかが足取りを重くして通り過ぎて行く。壁は湿った木の匂いを放ち、冷たい空気が足元を縛る。白い息を明るみに出さないように気をつけながら、巡査を見つめた。巡査はタライの米を麻袋に流し込み、肩に担いだ。灯りが巡査の顔を照らす。皺が幾重にも影を作り濃い髭が乱暴に伸びている。米を担いで駅長室に入ってしばらく経った。米に被せた外套がぽつんと暗がりに横たわっている。巡査が灯りに姿を現した。被せた外套を着ると惣二の米袋を首から下げて外套を着直した。
 
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