第36話

文字数 957文字

(36) 古着の袖はボロでも…
 「惣二…すまんねっけ… こんな遅くなってしもうたて」
 「いやいっやー米っ!米らてっ!こんな嬉しいもん今他にねえて!」
 昇の親戚の家も男手が無くなって、雪が降る前の雪囲いなどの仕度を突然頼まれた。朝から作業して薄暗くなってしまった。
 「ノボんちも遅くて心配してるろー…(はよ)帰んねばなんねろ…」
 「そいがー…」
 「なんしてもや…ノボ…家に米、持ち帰るまでが勝負らて…最大の関所ぁお巡りさんら……まずはあそこの駅らいや」
 早朝は皆出かけるので巡査はあまり気に留めなかったが、午後は闇米を持ち帰るのを捕まえる。
 「背中の袋…団栗ちゃんと入ってるろ?」
 「うん…お互いぺったんこにしてやー」
 「お互いの姿見よまい」
 「うー…飯食ってねえのにや…なんか太いて… …背中の袋でっかやし腕曲げてればなんとかなるろ… …ほんとにやってきた通り雪囲いを手伝って来たんらて俺達…」
 「…そうらて…疲れて腹減って…」
 「もう、そんつもりでやー 行こまい!お巡りさんいても、疲れたー しかねえて…」
 
 駅を(のぞ)いたが巡査は見えない。
 切符を買ったあと、列車の時間を確認しながら小さな待合所で待つか、二人は迷った。巡査は見えない。けれど一旦外に出た。表はもう暗い。駅の灯りから外れると真っ暗な闇しか無い。二人は灯りから外れて道端にしゃがんだ。
 
 闇の端で昇が惣二を見ながらまた無言で口を動かしている。惣二も笑みを浮かべて真似をした。
 「…なあ…惣二さあ…ほんとに腹減ったら、腹は背中にくっ着くかの?…」
 「…くっ着く前に…」
 惣二は”死ぬ“と言えなかった。
 「くっ着かねえろ…」
 惣二は胸に手を入れて、米の入った袋を撫でた。
 「良く出来た袋らて…ノボのおかかが縫ってくれたんらね?」
 「うん…とっつぁまが昔良く着てたボロの古着の袖らて…この柄見ると、すぐとっつぁま浮かぶて…かかがこれ切った時は泣きそうになったて…」昇は笑顔で言った。

 汽車が駅に入って来た。同時に二人も改札を抜けた。向きを変えると、すぐに巡査が立っていた。朝とは違う巡査だ。曲げた肘で胸を隠してそっと溜め息をついた。巡査は二人の背中の潰れた布袋をじっと見ていた。見るだけで何も言わない。二人はずっと歩いて巡査から出来るだけ離れて汽車に乗った。
 
 
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