第39話

文字数 905文字

(39) 孤独な(さなぎ)は…
 懐中電灯の灯りが遠退いていく。…巡査は他人の米を本当に盗んだんか……
 惣二は巡査がもう戻らないだろうと思うくらいで、灯りが動き回った家の裏手へ手探りで回った。…本当に家の中まで入るんか…… 戸に鍵がかかっていない。もう一度来た道の方を見たが真っ暗闇だ。ゴロゴロと引き戸を開けて中に入った。酒の匂いがする。何も見えない闇の中、灯りを点ければ全てが決まる。惣二は最後まで知りたい気持ちは無くならなかった。頭の上を手のひらで探って電球のスイッチをひねった。

 突然明るい土間が現れた。眩しくて少しの間、薄目で辺りを見回した。一升瓶に茶碗。他は普通のこじんまりとした炊事場。あっ!と惣二は目を見張った。(かまど)の焚口の炭の上に、昇のおかかの米袋が痩せて力無く置かれている… 米で満たされ希望で膨らんだ昇のとっつぁまの古着の袖が… 心臓が高鳴り拳を強く握りしめた…惣二は迷わず米袋を拾い、米びつを探した。直ぐに鈍い色のトタンの米びつの蓋を開けて中の茶碗で米を袋に流し込んだ。何度も何度も掬って、昇のおかかの米袋を膨らませた。今、惣二の胸の鼓動は怒りで激しく高鳴っている。……突然巡査に出くわしても、牙を()いた野良犬になるかもしれない… 灯りを消して暗闇に躍り出た。

 冷たい空気が顔に当たるが、なぜか痛くない。外套の上から米袋を両手で抑えて走るがどうしても揺れてしまう。遠くに駅の灯りが小さく見える。息が切れて足が上がらず歩き出した。目を凝らすと前方に小さい灯りが揺れている。巡査が戻って来た。迷って道の端を足で探ると、突然、足の踏み場を失って、乾いた田んぼの隅に転がり落ちた。米袋を抱き、孤独な(さなぎ)となって薄い雪の上で冷気に耐える。目を見開いても暗闇しか無い。柔らかな米袋の手触りが怒りを(しず)める……米を持ち帰りたい……
 乾いた土を刻むような足音が近づいた。(かす)かな光が畦道の影を作った。息が震える。足音が過ぎてゆく。我慢に我慢を重ねて刺さるような硬い雪に手をついた。振り向くと変わらぬ闇がある。今度こそ逃げなくては。震えながら走った。ただひたすら足を動かした。寒くて震えるのか、惣二には分からなくなった。

 
 
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