第7話

文字数 1,061文字

 ⑺ 卵て?…
 五月の良く晴れた朝、木々の若葉がそよいで、きらきらと風が見えるようだ。
 
 惣二は家族で朝餉(あさげ)を囲んでいる。おつゆの味噌の香りが戸を開け放った家の中を漂って、惣二はこの香りにほっとする。
 今はほとんどが玄米に大根と大根葉を混ぜた「かて飯」で、今朝は、かて飯に茄子の糠漬け、大根の葉と打ち豆のおつゆ、焼いためざしが飯台(はんだい)に乗る。 
 
 前までは卵が時々飯台に乗った。飯にかける卵はいつも嬉しい。飯の真ん中に穴を作り溶いた卵を垂らす。こうすると不用意にかけて茶碗からこぼすこともない。これが楽しい。箸でぐりぐりと混ぜ、ぼそぼそっとかきこんでよく噛むと米と卵が口の中で甘くなる。
 けれど最近、一向に卵が飯台に乗らない。茶碗に揺れる卵は家の中を明るくしていた。
 
 「なーしたー?武……」かかが笑みを浮かべて惣二の下の弟に声をかけた。
 「…なあ、かかあ…近ごろ、なーして卵無いんかのお?」…武がめざしの空いた丸い目から、かかを覗きながら言った。
 「おろ?そんめざし、目えあんねー!…おここここ…」末っ子の久子が笑みを浮かべてころころと笑った。
 「兵隊さんが沢山戦争行ぐと、卵ねぐなるんらわ…」とっつぁが真面目に眉を上げて言った。
 「…」武が少し思案して、「なしてかのー?兵隊さん卵産むわけねえがのー」
 とっつぁが「……兵隊さん卵産んだらや、タマあ撃ってる時めんどくせえろ…」かかがめざしをとり落とした。
 涙袋に笑みを浮かべたとっつぁはいつも穏やかだ。
 「…武、…おとこしょ(男衆)がな、いなくなってや、餌や荷物運ぶのに手が足りねくなっと、色んなもんが回らなくなるろ…米もそうら… まあおとこしょれもおなごしょ(女衆)れも、人手が足りねってことらて……」
 「…そいがー…」武はまだ納得していないようだ。 
 
 3年前から日中戦争が始まり、男性が出征するにつれて農家では男手が減り、農作物の生産量も減った。じきに米が配給制となる。出回る食品も徐々に減っていった。
 惣二も戦争と食べ物が頭の中でうまく結びつかない。

 惣二は朝餉を食べたあと、箒で店の中と店先を掃いた。
 最近まで、二つ下の武が、惣二が掃除すると「惣二が掃除っ?そいがー……そいが?…そいがー……そいが?……おここここ…」一人二役、ふざけだすとタガがはずれる。武はこの言い回しが気にいったのか、惣二が掃除する度にはしゃいで、激しく身をくねらせて息を詰まらせて笑っていた。けれど、ある時ぱったり言わなくなった。自分で言って、あ、なんかつまんね…と自分で気づいてしまった。

 
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