お茶会ふたたび
文字数 3,219文字
小さな紙片の地図を片手に、シルフィスは居住区の深部に足を踏み入れている。初めて来る地域だ。
道行く里人が目立つ髪色の青年をもれなく振り向くが、彼はあまり気に止めない。
パォの間の路地を辿ると、目的地の広場に出た。
(ここで合っているよな?)
地図と見比べると、井戸印のある場所にちゃんと井戸がある。
しかしシルフィスは眉を潜めた。
井戸印の横にヒトの形が三つ描かれているのだが、その場所に実際に三人の女性が立っているからだ。
水瓶を抱えてお喋りをする年配の女性達。シルフィスが広場に入った一瞬だけ黙ったが、すぐにお喋りを再開した。
(??)
狐に化かされたような気持ちで、怖々と辺りを見回す。
「シルフィスキスカさん」
また背後から呼ばれて心臓が喉まで上がった。
この里の女性は、全員忍びの術でも極めているのか?
「ピルカ、ここで良かっ……」
「シッ、偶然会った風を装って下さい。こちらです」
うさぎ頭に案内されながら、シルフィスは小声で素早く聞いた。
「あの三人の女性は、君が立たせているのか?」
「いいえ、毎日この時間に、決まってあそこで井戸端会議しているの。目印に丁度いいでしょ」
「…………」
「先日はありがとうございました。それと今日は謝らなければならなくて」
「んん?」
「肝心の『彼女』が、やっぱり家が厳しくて出て来られなかったんです」
「……そうか、いやそれは予め言われていたからいい」
「その代わり、親友だって情報の子を招けました。それで勘弁して下さい」
「本当か、感謝する」
「私達が上手く会話を持って行くわ」
「頼む」
広場を横切ると、白と紫の花が咲き揃う灌木の中に、簡単な屋根の掛かった東屋があり、野外用の椅子とテーブルで、五、六人の娘が裁縫に勤しんでいる。花の蔓は東屋の柱や屋根にも伸び、いかにも女性の好みそうな場所だ。
壁が無くて解放されているから、親族でない男性が加わっても抵抗感がない。ピルカのスマートな配慮に、シルフィスはまた感心した。
「そこでシルフィスキスカさんにお会いしたの。ちょっと休んでお茶にしましょうよ」
「あ、お久し振りです、その節はお世話になりました」
鉤針を置いて挨拶するのは、気遣い娘ポラン。
後、椅子を勧めながらニッコリ微笑むノスリ家の年長の娘が一人。
両名いかにも口が固そうで、ピルカの人選は頼もしい。
そしてこの二人には、
向かいで竜使いの登場に目を見開くのは、旅行の時サザと一緒に居た、物造りコミューンの三人娘。
シルフィスは胸が震えた。
旅行から戻ってから、彼女達にもほとんど会えていなかったのだ。
彼女達のコミューンは本当に閉ざされているらしい。
一度、子供を竜に乗せてやる振りをして上空から工房街に近付いたら、ユゥジーンにどちゃくそ怒られた。
サザの姿はその時チラと見たきりだ。
(この三人を余さず召喚出来るなんて、どんな魔法力を持ってしても敵わない。さすがピルカ、取引きして良かった)
「私、熱が出てエンジュ森に行き損ねたでしょう? 立体刺繍を教えて貰えたって聞いて、とても悔しかったのよ」
ピルカが茶を配りながら、感情たっぷりに説明をする。
「それで私達が教えようとしたんだけれど上手く行かなくて。しっかり再現出来ていた此方のお三方にお願いして来て頂いたの」
こちらも台詞を間違えないポラン。
「本当はこちらから出向かなくてはならないんだけれど、ほら今、クレマチスが満開じゃない。ここだと気持ちが良いかなと思って」
ソツなくサラサラ喋るノスリ家娘。
「ひょひゃほ」
噛むシルフィス。
ピルカに厳しく目配せをされ、口を閉じている事にした。
「本当に綺麗、工房街にはこんなに大きな花壇ないもの。こちらこそご招待頂いて嬉しいわ」
「あの旅行を主催してくれたピルカの頼みとあっては、何を置いても参じなきゃ。それにしても綺麗な紫、こんな染料が作れたらいいのに」
「この蔦の感じを次の織物のモチーフにしようかしら」
三人娘は完全に気を緩めてリラックスしている。
最初に喋った娘が、シルフィスにサザの事を弁護に来た娘だ。おそらく彼女がサザの親友……
***
「それで、お父様にどんな風に挨拶を切り出されたの? やっぱり風波の様式で?」
娘が複数寄ると、恋バナが咲くのは何処も同じ。先日彼氏が親に挨拶に来たなんて娘が混じっていれば、話題がそちらへ行くのは仕方がない。
「きちんと蒼の里の習慣を勉強されて、私も知らなかったような完璧な形式で挨拶して下さったわ。やだもう、照れるから勘弁して。そういえば、物造りコミューンの方は、男女の付き合いに独特な決まりがあったりするの?」
「そうそう、そういうの聞きたいわ。これはやっちゃダメとか、後学の為に」
「何か厳しそう……ぐらいしか知らないんだもの。ね、この機会に教えて」
ピルカは心得た感じで、話題をぐるんと回転させる。味方二人も加わると心強い。
シルフィスは目を白黒させながら、女性の言葉の攻防を眺めている。複雑で相槌を打つ事も出来ない。
「私達の所だって普通よ、大して変わりはないわ。ね、それより、折角シルフィスキスカさんがいらっしゃるのだから、風波のお話を聞きたいわ」
親友娘が話を振って来た。
焦ったシルフィスだが、ピルカに頷かれて、竜の喉元に這い登るような気分で口を開いた。
まったく、ホルズ殿を謀る時や プリムラの両親を言い包める時なんかは 軽々と言葉が出るのに、何だこの緊張感は。
「か、風波では」
娘六人の瞳が集中する。
「婚姻を結ぶ当人が挨拶に参じたり、何かをする事は無い。だいたいが両家の親族で話が進む。仲人専門の占い師がいて血の遠い者から組み合わせを選ぶ。最近は外から女性を招く事も多いが、近隣部族も似たような習慣で、婚礼終盤に初めて顔を合わせるような事も珍しくない」
「まあ……」
染料娘が困惑の声を出した。
ピルカから、話を切り替えろのブロックサイン。
「だ、だから、風波の男は、頑張り方を知らない。教わる相手がいない。ヘイムダルは本当に努力していると思う。一所懸命、蒼の里の習慣に寄り添おうとしている。それだけピルカに対して真剣なのだろう」
これは本心だ。ヘイムダルの人生を応援してやりたい。彼には意中の女性と幸せになって貰いたい。
思わず熱の入るシルフィス。ノスリ家の娘達は特に止めないし、工房の娘達も聞き入っている。大丈夫だと思って加速が付いた。
「風波の女性の立場が今はどうでも、ヘイムダルは自分の大切な伴侶は何があっても守ると思う。ヘイムダルと共にある限り、ピルカは必ず幸せになれる」
「ひゃあ、もうやめてぇ!」
ピルカが頬に両手を当てて、身を左右に振った。
演技なのかどうか分からない。
ノスリ家の娘達が両側から「ごちそうさま、ごちそうさま」と、彼女の背中を叩いている。
いいのか、これで、良かったのか? 分からない。
「お友達思いなんですね、シルフィスキスカさん」
親友娘がまっすぐ顔を向けて来た。
この娘も可愛い……いや、それは今はどうでもよくてっ……
「いつかお嫁さんを貰っても、ヘイムダルさんの名前を呼ぶ回数の方が多そう」
と染料娘。
「きゃっ、家庭争議が起きちゃうぅ」
茶化す織物娘。
全員がドッと笑った。
場を和やかにする事は出来たようだ、良かった。
「ふふ、じゃあピルカはシルフィスキスカさんのライバルって事ね、ふふふ」
ポランがおどけて、そこで笑って終わらせようとしたのに、竜使いはイラン事を口走った。
「そうだな、僕がもし女性だったら、ヘイムダル以外の男性など眼中にも置かず、一直線に獲りに行くだろう。油断はならないぞ、ピルカ」
・・・・
もちろん冗談の延長だ、それは皆分かる、理解している。
しかし絵から抜け出したような貴公子に真顔で訥々と言われると、年頃の少女達には、かなり刺激が強かった。
クレマチスの東屋の空気はシンと冷えて行く。
道行く里人が目立つ髪色の青年をもれなく振り向くが、彼はあまり気に止めない。
パォの間の路地を辿ると、目的地の広場に出た。
(ここで合っているよな?)
地図と見比べると、井戸印のある場所にちゃんと井戸がある。
しかしシルフィスは眉を潜めた。
井戸印の横にヒトの形が三つ描かれているのだが、その場所に実際に三人の女性が立っているからだ。
水瓶を抱えてお喋りをする年配の女性達。シルフィスが広場に入った一瞬だけ黙ったが、すぐにお喋りを再開した。
(??)
狐に化かされたような気持ちで、怖々と辺りを見回す。
「シルフィスキスカさん」
また背後から呼ばれて心臓が喉まで上がった。
この里の女性は、全員忍びの術でも極めているのか?
「ピルカ、ここで良かっ……」
「シッ、偶然会った風を装って下さい。こちらです」
うさぎ頭に案内されながら、シルフィスは小声で素早く聞いた。
「あの三人の女性は、君が立たせているのか?」
「いいえ、毎日この時間に、決まってあそこで井戸端会議しているの。目印に丁度いいでしょ」
「…………」
「先日はありがとうございました。それと今日は謝らなければならなくて」
「んん?」
「肝心の『彼女』が、やっぱり家が厳しくて出て来られなかったんです」
「……そうか、いやそれは予め言われていたからいい」
「その代わり、親友だって情報の子を招けました。それで勘弁して下さい」
「本当か、感謝する」
「私達が上手く会話を持って行くわ」
「頼む」
広場を横切ると、白と紫の花が咲き揃う灌木の中に、簡単な屋根の掛かった東屋があり、野外用の椅子とテーブルで、五、六人の娘が裁縫に勤しんでいる。花の蔓は東屋の柱や屋根にも伸び、いかにも女性の好みそうな場所だ。
壁が無くて解放されているから、親族でない男性が加わっても抵抗感がない。ピルカのスマートな配慮に、シルフィスはまた感心した。
「そこでシルフィスキスカさんにお会いしたの。ちょっと休んでお茶にしましょうよ」
「あ、お久し振りです、その節はお世話になりました」
鉤針を置いて挨拶するのは、気遣い娘ポラン。
後、椅子を勧めながらニッコリ微笑むノスリ家の年長の娘が一人。
両名いかにも口が固そうで、ピルカの人選は頼もしい。
そしてこの二人には、
話が通されている
。向かいで竜使いの登場に目を見開くのは、旅行の時サザと一緒に居た、物造りコミューンの三人娘。
シルフィスは胸が震えた。
旅行から戻ってから、彼女達にもほとんど会えていなかったのだ。
彼女達のコミューンは本当に閉ざされているらしい。
一度、子供を竜に乗せてやる振りをして上空から工房街に近付いたら、ユゥジーンにどちゃくそ怒られた。
サザの姿はその時チラと見たきりだ。
(この三人を余さず召喚出来るなんて、どんな魔法力を持ってしても敵わない。さすがピルカ、取引きして良かった)
「私、熱が出てエンジュ森に行き損ねたでしょう? 立体刺繍を教えて貰えたって聞いて、とても悔しかったのよ」
ピルカが茶を配りながら、感情たっぷりに説明をする。
「それで私達が教えようとしたんだけれど上手く行かなくて。しっかり再現出来ていた此方のお三方にお願いして来て頂いたの」
こちらも台詞を間違えないポラン。
「本当はこちらから出向かなくてはならないんだけれど、ほら今、クレマチスが満開じゃない。ここだと気持ちが良いかなと思って」
ソツなくサラサラ喋るノスリ家娘。
「ひょひゃほ」
噛むシルフィス。
ピルカに厳しく目配せをされ、口を閉じている事にした。
「本当に綺麗、工房街にはこんなに大きな花壇ないもの。こちらこそご招待頂いて嬉しいわ」
「あの旅行を主催してくれたピルカの頼みとあっては、何を置いても参じなきゃ。それにしても綺麗な紫、こんな染料が作れたらいいのに」
「この蔦の感じを次の織物のモチーフにしようかしら」
三人娘は完全に気を緩めてリラックスしている。
最初に喋った娘が、シルフィスにサザの事を弁護に来た娘だ。おそらく彼女がサザの親友……
***
「それで、お父様にどんな風に挨拶を切り出されたの? やっぱり風波の様式で?」
娘が複数寄ると、恋バナが咲くのは何処も同じ。先日彼氏が親に挨拶に来たなんて娘が混じっていれば、話題がそちらへ行くのは仕方がない。
「きちんと蒼の里の習慣を勉強されて、私も知らなかったような完璧な形式で挨拶して下さったわ。やだもう、照れるから勘弁して。そういえば、物造りコミューンの方は、男女の付き合いに独特な決まりがあったりするの?」
「そうそう、そういうの聞きたいわ。これはやっちゃダメとか、後学の為に」
「何か厳しそう……ぐらいしか知らないんだもの。ね、この機会に教えて」
ピルカは心得た感じで、話題をぐるんと回転させる。味方二人も加わると心強い。
シルフィスは目を白黒させながら、女性の言葉の攻防を眺めている。複雑で相槌を打つ事も出来ない。
「私達の所だって普通よ、大して変わりはないわ。ね、それより、折角シルフィスキスカさんがいらっしゃるのだから、風波のお話を聞きたいわ」
親友娘が話を振って来た。
焦ったシルフィスだが、ピルカに頷かれて、竜の喉元に這い登るような気分で口を開いた。
まったく、ホルズ殿を謀る時や プリムラの両親を言い包める時なんかは 軽々と言葉が出るのに、何だこの緊張感は。
「か、風波では」
娘六人の瞳が集中する。
「婚姻を結ぶ当人が挨拶に参じたり、何かをする事は無い。だいたいが両家の親族で話が進む。仲人専門の占い師がいて血の遠い者から組み合わせを選ぶ。最近は外から女性を招く事も多いが、近隣部族も似たような習慣で、婚礼終盤に初めて顔を合わせるような事も珍しくない」
「まあ……」
染料娘が困惑の声を出した。
ピルカから、話を切り替えろのブロックサイン。
「だ、だから、風波の男は、頑張り方を知らない。教わる相手がいない。ヘイムダルは本当に努力していると思う。一所懸命、蒼の里の習慣に寄り添おうとしている。それだけピルカに対して真剣なのだろう」
これは本心だ。ヘイムダルの人生を応援してやりたい。彼には意中の女性と幸せになって貰いたい。
思わず熱の入るシルフィス。ノスリ家の娘達は特に止めないし、工房の娘達も聞き入っている。大丈夫だと思って加速が付いた。
「風波の女性の立場が今はどうでも、ヘイムダルは自分の大切な伴侶は何があっても守ると思う。ヘイムダルと共にある限り、ピルカは必ず幸せになれる」
「ひゃあ、もうやめてぇ!」
ピルカが頬に両手を当てて、身を左右に振った。
演技なのかどうか分からない。
ノスリ家の娘達が両側から「ごちそうさま、ごちそうさま」と、彼女の背中を叩いている。
いいのか、これで、良かったのか? 分からない。
「お友達思いなんですね、シルフィスキスカさん」
親友娘がまっすぐ顔を向けて来た。
この娘も可愛い……いや、それは今はどうでもよくてっ……
「いつかお嫁さんを貰っても、ヘイムダルさんの名前を呼ぶ回数の方が多そう」
と染料娘。
「きゃっ、家庭争議が起きちゃうぅ」
茶化す織物娘。
全員がドッと笑った。
場を和やかにする事は出来たようだ、良かった。
「ふふ、じゃあピルカはシルフィスキスカさんのライバルって事ね、ふふふ」
ポランがおどけて、そこで笑って終わらせようとしたのに、竜使いはイラン事を口走った。
「そうだな、僕がもし女性だったら、ヘイムダル以外の男性など眼中にも置かず、一直線に獲りに行くだろう。油断はならないぞ、ピルカ」
・・・・
もちろん冗談の延長だ、それは皆分かる、理解している。
しかし絵から抜け出したような貴公子に真顔で訥々と言われると、年頃の少女達には、かなり刺激が強かった。
クレマチスの東屋の空気はシンと冷えて行く。
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