<<<ドン!!>>>
文字数 1,984文字
――翌日。
午後の仕事に必要な資料を自宅に取りに行って戻ったリリは、執務室の入り口で戸惑っている人物と鉢合わせした。
小花帽子を被ったプリムラだ。
いつもは「あらリリさんこんにちは」と威嚇気味の声で挨拶して来るのがノスリ家女性の常石なのだが、今日は何だかしおらしい。
「こんにちは……」
「ホルズさんにご用ですか? 修練所の会議に出席だから、戻りは夕方になると思います」
リリは事務的に言って、御簾をくぐろうとした。
「あ、あのね、シルフィスキスカさんは?」
振り返ってリリは、不安そうに見開かれた大きな瞳を見る。
昨日、両親が執務室に押し掛けたのは彼らの先走りで娘は何も知らなかったというのは、ホルズから聞いている。
「今日は近場の仕事が一件だから、そう遅くはならないと思います」
「あ、そうなの」
「……」
「もう帰って来そう?」
「それは何とも……」
「中で待ってもいいかしら」
聞かれると、「どうぞ」としか答えられないリリだった。
本当はこれから集中しなければならないややこしい仕事があるのだが、この娘は一刻も早くシルフィスに会って謝りたいオーラで一杯だ。
室内で椅子を勧め、取りあえずお茶だけ出して、リリはいつもの丸机で資料を広げた。本当は外のベンチに行きたかったが、それではあからさま過ぎる。
(去年の暦と照らし合わせて……この手紙はその時の物、天候は……)
「今日は見習いのあの子は?」
リリはうんざりと顔を上げた。
「彼は外仕事に出るようになりました」
プリムラは「そう」と興味なさそうにお茶に口を付けた。
(天候は……天候表、あったここだ、この印は雨、雨、風雨、確かにちょっと乱れてる、暦は、方位は……)
「執務室って案外広いのね」
(方位、方位……北北西という事は、この手紙と矛盾する、次の手紙ではどうなってる……)
「とても大きな机ね、そういえばホルズ叔父様って○○○△◇□×××」
(手紙、手紙手紙・・・・)
「○○○□△△×××××××××××××××××」
リリは無表情で顔を上げ、斜め上の虚空を見据えた。
プリムラも黙る。
しばらくそのままで停止していたが、折角空白を作ってあげているのに、プリムラは喋らない。
静かにしていてくれるなら仕事に戻ろうと、リリは俯いて集中を始める。
途端、また「○△××」が始まる。
そういうのをもう二度繰り返して、リリは書類を机に叩き付けそうになった。
――ワカッテルワカッテル、わざとやってる訳じゃない、効果的に相手の気を引こうとする『自分がどこまで許されるかの試し行動』は、子供や雌等庇護を必要とする弱い生き物の本能だ。遺伝子に刷り込まれているのだ、無意識なのだ、悪気はない、悪気はないのだ…………
「ホント喋らないのね貴女って」
――――!! ガガ我慢ンガママガガ・・んっ!
寸での所で止める事が出来た。
家に帰って「あの子急にキレるのよ、怖かったわ」と被害者ぶる材料など提供してたまるか。
リリは切り替えて、外のベンチに行く為に仕事道具をまとめ始める。この案件はホルズさんが帰るまでに処理しておかねばならない。
いつだって一杯一杯なのだ。出来ると思って仕事をした事などない。能力をギリギリまで絞ってようやっと、周囲と肩を並べられるのだ。
娘はお茶のカップをヒラヒラさせながら、大机の周りをうろつき始めた。
この隙に外に出よう、出てしまえば目の端にも映さなくて済む。資料を抱いて立ち上がった後ろから、カチャンという茶器の音。
「あ、お茶こぼしちゃった」
***
坂の途中でシルフィスは立ち止まった。
(肌がピリピリする)
この気配はリリの物だ。執務室で彼女が苛々している。また何か難解な仕事に取り組んでいるのか? それにしてもこのヒリ付き具合は尋常じゃ……
ポンと背中を叩かれて振り返ると、同じく仕事帰りのユゥジーンだった。
「どうした、こんな所で立ち止まって」
最近シルフィスが自立したので余裕が出来て、普通に話し掛けてくれるようになった。
「坂も登れない位ヘバっているんじゃなかろうに」
「ああ、ユゥジーン先輩、丁度よかった。今、リリが……」
話している二人の横を、元気な影が駆け抜ける。
「ユゥジーンさん、シルフィスキスカさん、お帰りなさい。先に行かせて貰います!」
執務室見習いの少年だ。最近外仕事に出して貰えるようになったが、執務室の雑事も彼の仕事だ。二人を追い抜いて出迎え準備を整えたいのだろう。
しかしシルフィスはハッと顔を上げた。
竜使いが土を蹴るのと、少年が玄関デッキに足を掛けるのと・・
――執務室の建物がデッキごと〈〈〈ドン!!〉〉〉と揺れるのと、同時だった。
窓枠が吹き飛ぶ。
入り口の御簾がブワッと膨らんだ後、千切れて飛んだ。
デッキから落ちそうになった少年を、
瞬時に跳んで来たシルフィスが受け止める。
「・・リリ!?」
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