楽な方を選びたい

文字数 1,938文字

   

 デッキを降りた所で少年は、背後からホルズに呼ばれた。

「おぉい、すまん、ユゥジーンの所へひとっ走り頼む。急ぎだ、棘の森の主殿へ緊急の手紙!」
「え、今から配達、ですか?」

 少年は引き返しながら聞いた。
 ユゥジーンと居候のシルフィス、二人の青年は、今日は夕方に仕事を終えて帰宅している。
 ここのところ仕事が詰まっていた彼らは、明日の昼まで半休の予定だ。

「急遽話を通しておかねばならない要件が出来たんだ。すまないと言っておいてくれ」
「は、はい」

 執務室のメンバーったって、普通に夜は家に帰って寝るし、オフの日だってある。
 ……が、外の世界はそんなのに合わせてくれない。昼夜逆の種族だってある。
 特に棘の森の七本牙の主殿は偏屈で、ユゥジーン以外の使者は受け付けてくれない。

(あ――あ、気の毒に……)
 思いながら少年は、親書用の皮筒を受け取って、居住区とは反対の夜の坂を駆け降りた。
 そちら側は里裏と呼ばれ、修練所の他は放牧地や灌木帯で、人家がほとんど無い。
 坂を降りたT字路の、右は山茶花の林。行った事はないけれど奥にノスリ様の隠居家があるという。
 ユゥジーンさんちは左に曲がってかなり歩いた放牧地の土手沿い。野中の一軒家みたいな場所だ。

「不便じゃないのか? 居住区の方にも土地は空いているのに」

 走って走って、目印の杏の木が見えて来た頃には、かなり息が切れていた。
 下のパォの明かりは消えている。もう寝ちゃったのかな。
 辿り着いて声をかけたが返事がない。気配もない。
 出掛けているのか、どうしよう、待つか、戻るか。
 今から……執務室に戻るのかぁ……

 うろうろしていると、修練所方向の土手に灯りが見えた。誰かがカンテラを持って歩いている。
 少年は慌てて追い掛けた。
「おお――い、お――い」

 カンテラは立ち止まってくれたが、ユゥジーンではなかった。背の高い影は、修練所のサォ教官。
「おや、執務室の? どうした?」

 少年は汗を垂らしながら肩を落としたが、教官はユゥジーンの行き先を知っていた。
「シルフィスキスカ殿が、小さい子を竜に乗せてあげると言ってくれてな。急な話だったが子供達が大喜びだったので、お願いしたんだ」
 大っぴらにするとまた収拾が着かなくなってしまうから、その場にいた運の良い子だけ、内緒でと。

「そこの放牧地で竜を作って、子供五人ばかりを乗せた後、高く上がって見えなってしまった。まぁユゥジーンも馬で着いて行ってくれたから、心配ないとは思うのだが」

「そ、それ、どの位前に? どっちの方へ飛んで行きました?」
「今しがた上がった所だよ。そんなに遠くへは行かないだろう、ちょっとだけだと言っていたし」

 少年は頭を抱えた。
 シルフィスさんのちょっとは感覚が違う! ユゥジーンさんも止めろよっ! 
 サォ教官に文句を言ってもしようがない。
 このヒトは優れた教育者だが、大人に対して無条件に信用し過ぎるんだ。
 この世には子供みたいな大人も大勢いるんだぞっ!


 ***


 という訳で、少年は今、草の馬に跨がって夜空を上がって行く所。
 上空にユゥジーンさんを探しに行くことにした。絶対その方が早い。

 幸い放牧地には修練所の厩舎があって、サォ教官がいたから馬を借りる事が出来た。
(ラッキーだった。執務室まで戻らなくて済んだ)

 腰帯にしっかり差し込んである懐の書簡を確かめながら、少年は空を見渡した。
 シルフィスさんの竜なら一度見た事がある。あれだけの竜なら月明かりでも十分に目立つ筈。

 しかし上空にそれらしき物は無い。
 まだ上まで上がったの? 小さい子を五人も乗せて……
 ……いや、能力の有り余っているヒトの考える事は分からない。 

 上ばかり眺めていた少年は、足下を見落としていた。
 実はこの時シルフィスの竜は、ずっと下にいた。
 居住区に近付き過ぎてユゥジーンに叱られていた位だ。
 いくらシルフィスでも子供を乗せてそんな高空へ行く訳がない、いくらシルフィスでも。
 そして、子供を喜ばせるだけの目的で作られた竜は馬二頭分程の大きさで、少年が思うより遥かに小さかったのだ。

 何にしても、少年はユゥジーンを見付けられなかった。
(どうしよう……)
 今から地上に降りて馬を厩に入れ馬装を片付け、執務室まで走って報告……いい加減疲れていた彼は、別の選択肢を選びたかった。

(もうこの足で自分が棘の森へ行って、手紙を届けちゃえばいいんだ)

 場所はすぐそこ。
 前に一度だけ臨時に手紙を届けた事があるから、要領は分かっている。
 七本牙の主殿は確かに怖いけれど、礼儀さえ間違えなければ理不尽に怒り出すようなヒトではなかった。

(よぉし、行っちゃえ!)

 懐の書状を帯にギュッと挟み直して、少年は、手綱を棘の森へ向けた。






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登場人物紹介

シルフィスキスカ:♂ 風波(かざな)の妖精。 海竜使いの家系。

遠い北方より蒼の里へ、術の勉強に来ている。ユゥジーンちに居候。


リリ:♀ 蒼の妖精。 蒼の里の長娘。

術の力はイマイチで発展途上。ユゥジーンとは幼馴染。


ユゥジーン:♂ 蒼の妖精。執務室で働く。

過去にリリにプロポーズした事があるが、本気にされていない。

ホルズ:♂ 蒼の妖精。執務室の統括者。

頑張る中間管理職。若者に寛容だが、身内には厳しい。

ピルカ:♀ 蒼の妖精 ホルズさんちの末っ子

女の子達のリーダー格。

サザ:♀ 蒼の妖精  物造りコミューンの娘。

用心深く無口。乗馬姿が美しい。


プリムラ:♀ 蒼の妖精 ピルカと同い年

気が強く、相手を言い負かすまであきらめない。

ポラン:♀ 蒼の妖精  ピルカ、プリムラとは従姉妹どうし。

気遣い上手。皆のお姉さん的存在。

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