大トネリコ
文字数 2,098文字
今度こそ棒のように手足を投げ出し、シルフィスはベッドに転がった。
阿呆だ。
何を言ったのだ、自分は。
竜で女の子の関心を惹こうとするなんて、最低だ、竜使いにあるまじき行為。
内心笑われただろうか、軽蔑されただろうか。
何だこれは。胸が、苦しい、呼吸が、重い、泥に沈んで行くみたいだ。
――ドドン
遠くで重い音。
身体の表面のヒリつき。
トロトロしていたシルフィスは、神経を揺さぶられて跳ね起きた。
大気の痺れと匂いが異常を報せる。
外に飛び出すと、もう蛍は寝静まっているのに、妙に明るい。
厩の前に数人の男性がいて、馬を引き出そうとしている。青年団の若者もいる。
「ああ、竜使い殿、今報せに行かせようとしていた所です」
「何が起こった?」
「落雷です。空が明るいから、何処かで野火が起きているかもしれません」
「!!」
「この土地では珍しい事ではないです。森中に野火止めの水路や溝を作って対策しています。生木は延焼しにくくはあるんですが、……しかし乾いた日が続いていたので……」
野火! 何でよりによってこんな日に!
「僕が上空から見ます!」
「お頼みします」の声を足下に、シルフィスはもう自分の馬に馬具無しで跨がって、飛び上がっていた。
落葉松と広葉樹の混成林を突き抜けると、木々の海の向こうに空が茜に染まる場所がある。自分達が昼間に来た方向だ。
(頼む、頼む、小事であってくれ)
地平に、長い枝を左右にくねらせた大木が、炎を灯して燃え始めている。
「湿原の大トネリコだ」
シルフィスのすぐ隣の落葉松のてっぺんに、エンジュ森の男性が何人か登って来ていた。
「不幸中の幸いだ。あそこなら湿原に囲まれた狭い地域だから、あの木が燃えるだけで鎮まるだろう」
「そうなのか」
「ああ、谷地中の一本木。今まで落雷にやられなかった方が不思議な所だ。やれやれ、こちら側でなくて良かった」
「…………」
大した事にならずに済んだ…… しかしシルフィスの身体のヒリ付きは収まらない。まだ何か……?
「シルフィスキスカさん」
草の馬が二頭上がって来た。プリムラとポランだ。不安そうな顔ながら、「何かお手伝い出来る事はありますか?」と気丈に聞いて来る。
「いや、大丈夫……」
言いかけた所で、背筋がピリピリとひきつった。
「なに!? あれは!」
ポランの叫び。
震える指がさす先、燃えているトネリコの上、赤い空を背景に、黒い生き物が飛び上がっている。
(トンボ・・!!)
トネリコは大トンボ達の寝ぐらだった。
並みのトンボは、夜は外敵から見えない葉の裏などの身を隠せる場所で眠る。あの湿原では、身体の大きな彼らには確かにあの大木しかない。大トンボは夜はあそこに集中していたのだ。
寝ぐらにしていたトネリコの唐突な災難に、トンボ達はパニックを起こしている。
逃げればいい物を、虫の性で明るい物から離れられないのだ。
焼け落ちるモノもいるが、炎を物ともせずにグルグル回りながら上昇気流に吹き上げられる巨大トンボもいる。
「あれ、こっちに来ちゃいません……?」
プリムラが怖い事を言った。
エンジュ森がトンボの脅威にさらされないのは、手前の密度濃い針葉樹の壁に遮られているからだと、昼間に聞いた。
しかし今は余裕でそれを越える高さまで吹き上げられている。上空の風は強く、風下はこちらだ。
「まさか、いや……」
木の上の男性達も、真剣な顔でトンボを凝視した。
虫はどんどん高くに上がる。そして本当に、こちらへ流されて来そうなのだ。
実際、木の焦げる匂いが付近に到達している。
今晩に村まで来るかは分からないが、森にトンボが入り込んだら、この後ずっと彼らに怯えて暮らす事になる。
「とにかく、今晩は皆を頑丈な建物に避難させよう」
「村中叩き起こせ」
「お嬢さん方、年寄りを運ぶのを手伝ってくれるか」
「はい」
「分かったわ」
男性と娘達が動こうとした時、
「僕が行くから」
シルフィスが焦然と言った。
一同そちらを見る。
「昼間見ただろ、竜の雄叫びで追い払える」
「あ、ああ、そうね」
プリムラは肩を下ろした。
しかしポランは、彼が何故か蒼白なのが気になった。
「そうなのか? よかった、お願いします。下の連中にも伝えて安心させてやらなきゃ」
男性達も、ホッとした感じで枝を降りようとした。
「だから」
「ん?」
「今日の裁縫の交流会は滞りなく催してくれ」
「はあ!?」
男性達は呆れた声を上げたが、ポラン達も目を丸くした。そんな場合じゃないだろう?
「あ、あの、私達はいいのよ、こんな時に」
「それは全員の総意か?」
娘二人は、この竜使いに何を言われているのか分からなくて、困惑の顔で口をつぐんだ。
「君達の交流会を開く為に、往復の行程だけでなく、こうして全てを護衛するのが僕の役割だ。なら君達も、『技術を完璧に学んで持ち帰る』という役割は果たして欲しい」
「え、ええ、は……い」
二人は唾を飲み込みながら返事をした。
考えた事もなかった。
ただの息抜き旅行の口実だと思っていた。
だがそれは、現在の自分達だけの考えで、過去にこの催しを始めた者も含めての『全員の総意』ではなかったかもしれない。
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