白い手綱 赤い手綱
文字数 2,621文字
里を出発して安定して飛び始めると、鶏小屋みたいだった矯声も聞こえなくなった。
置いてけぼりになった娘がいたかもしれないが、そこはまぁ。
高空の経験の無い娘ばかりとの事なので、落葉松に引っ掛からない程度の低い場所をゆるゆると飛ぶ。
シルフィスの後ろの数騎はきちんと隊列を組めているが、後は団子だ。
ピルカがいれば先頭を任せ、シルフィスはしんがりから全体を見守る予定だったが。
(……さて)
先頭を任せられる騎馬を見定めなければならない。
振り向くと、隊列を組めているのは七騎。
すぐ後ろの三騎は並みの部類だ。他に比べればマシだが、まだ馬に乗せられている感がある。
その後ろに幼い者が三騎。いかにも経験が足りておらず危なっかしい。
そしてその後ろ。幼い者達を見守るように、手綱を抑えてゆっくり飛んでいる一騎。
馬の鼻面が垂直にスッと下がり、騎馬全体の姿が抜きん出て美しい。
(この娘だな)
「白の手綱の者」
呼ばれて娘はキョロキョロし、白い手綱が自分だけだと気付くと目を丸くして「はい」と返事をした。
「名は」
「サザです。まだ成人の名を貰っていません」
蒼の一族は成人と認められて初めて長に名前を貰う。
それまではその家系で使い回されている幼名で呼ばれる。
しかし同年代の他の娘達は結構成人の名で呼び合っているのに、一番乗馬が達者そうなこの娘が未成人な事が、シルフィスには不思議だった。
(そういえばリリも幼名だと言っていた。家庭によって基準が違うのかもしれないな)
「先導に任命する。前へ」
「えっ」という顔は、彼女ではなくその後ろ辺りを固まって飛んでいた娘達だ。
「その子まだ成人じゃないのに」
などの声を背に、サザは表情を動かさずにシルフィスの隣まで駆けて来た。
列を離れる動きも他の馬を驚かさず、流れるように無駄がない。よし、大丈夫だ。
「僕は最後尾で全体を見る。君はこの速さと高度を保ちつつ、あの山の窪みに向いて真っ直ぐに飛んでいてくれ」
「はい」
最短の言葉で答えるこの娘は、他の娘に比べると表情が乏しい。
蒼の里の娘にしては珍しいな、と思った。
だが腕は確かだ。言葉は短くとも信頼を預けていい者だと読み取れた。
「後方三騎」
「は、はい」
ちょっとだけ複雑な表情で口を結んでいたすぐ後ろの三人が、慌てて返事をした。
「隊列の規範に任命する。先導と協力して隊列を維持し、全体の指標となれ。行けるな」
「はい、承りました」
「はいっ、うわぁ……」
三人は口々に返事をし、緊張しながらも嬉しそうに手綱を握り直した。
地味にコツコツ真面目な事は、普段認められる機会が少ないからだ。
「任せた」
言ってシルフィスは、皆の頭を越えてしんがりまで一気に飛んだ。
前の方のやり取りが聞こえていた娘達は、バラバラに飛ぶのをやめて不細工ながらも列を組んだ。
声を掛けられるどころか一瞥もされなかったので、さすがに焦ったのだ。
シルフィスは最後尾の五、六騎のかたまりの所まで飛んだ。
最初から気になっていたのだが、そんなに未熟にも見えないのに、何故か随分離れてしまっている。
今の先頭でのやり取りも聞こえていなかったろう。
さっき試しに先頭の速度を少し落としてみたが、離れたまま速度を落とし、何だか意地でも追い付いて来ようとしない。多分停止しても離れたまま停止するのだろう。
(何の理由があるのか。リリなら明快に解説してくれるのだろうが)
その集団に馬を寄せると、娘達は目を輝かせて口を開いた。
「遅くてごめんなさいぃ」
「鐙(アブミ)が合わなくてぇ」
「この子可哀想なのよ鐙が合わなくて」
「ごめんなさいいぃ」
シルフィスの頭に、出立前にピルカの姉に言われた事が思い出された。
だから返した言葉は「どうする? 着いて来られないのなら戻るか?」だった。
娘達は笑顔のまま固まった。
「今なら里とそう離れていない。旅行に出るのは隊列が組めるようになってからにした方がいい」
シレッと言い放つと、
「い、いいえ飛べます」
「鐙さえ直せば飛べます」
「飛べます、着いて行けます」
と娘達は慌てた。
「なら今すぐ追い付いて隊列に入れ」
言ってシルフィスは上空に上がった。
ドッと疲れたので、離れて見守りながら頭を冷やす事にしたのだ。
最後尾の娘達が馬を駆って、前の集団に追い付いている。
ふにゃふにゃしているが列も組んだ。
(出来るのになぜ出来ないふりをする……)
他者と違う事をやって気に掛けられたい理屈は分かるが、全体への迷惑はお構いなしなど、まるで幼児ではないか。
ともかく風波では、女性だけで目立った行動をとる事はない。
馬で集団で旅行に出るなんてあり得ない事だ。
やはり女性は秩序立った行動は向かない生き物なのだろうか。
「帰ったらリリに聞いてみよう」
ユゥジーン先輩にも聞いてみたいな。
あの素直なヒトならまた違った答えを返してくれるかもしれない。
「リリさんに何を聞くんですか」
思いきり気を抜いている時に声を掛けられ、さすがにシルフィスでもビクンと揺れた。
後ろに、さっきの後尾集団にいた娘が一人、着いて来ている。
「隊列に戻れ」
「一言いいかしら」
「何だ」
「貴方が最初に『速い者は後ろに』って言ったから、私は一番後ろにいたの。あんな娘達と十把一絡(じゅっぱひとから)げにされたら悔しい」
「あ、ああ」
確かにさっきヒヨコみたいにさえずっていた娘達の最後尾で、この娘だけは無言だった。
「そうだな、済まなかった」
あっさり謝まられて、娘は継ごうとしていた文句の続きを止めて口端を結んだ。
「君は飛ぶのに自信があるのか」
「あの中では、ってだけです。リリさん程じゃない」
頬を赤くして膨らませる娘を、シルフィスはじっと見た。
サザのように目を見張る騎乗姿ではないが、堂々と胸を張り、騎座が吸い付くようだ。
そしてこの娘の馬は、抜きん出て逞しい。
草の馬は主の資質に沿って成長するというが、彼女の気の強さを体現しているのだろうか。
見落として邪険にしてしまったのを、率直に申し訳なく思った。
「では正式に最後尾を任命する。真面目に飛ばない者がいたら尻を叩いていいぞ」
「え、あら、はい、分かりました」
娘は少し笑顔を見せた。
前列の娘達に比べて服の刺繍はシンプルだ。
活発そうだし、手芸ガチ勢ではなく旅行楽しみたい組なんだろう。
「名前は?」
「プリムラです」
小花模様の帽子の娘は、赤い手綱を駆って下降して行った。
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