それならそうと言って欲しい
文字数 1,882文字
ノスリは怒るでもなく、ただ驚いた口をポカンと開いて、少年を見ている。
「ここへ、
引き入れられた
、って?」「そうですよ、天井から触られて。絶対気のせいじゃないですっ」
口を開いた顔のまま、ノスリは天井を見上げた。
明り取りの細い光の下ホコリが舞っているだけで、別段変わった様子はない。
「そうか」
「う、嘘じゃないですから」
「ああ信じる。こちらへ来なさい」
ノスリは小さな丸椅子を持ってパォの外へ歩き、土の上に置いて、座るよう促した。
大声を出し過ぎた少年は、クラクラしながら後を追って椅子に倒れ込んだが、目の焦点が合うと、「ヒッ」と悲鳴を上げた。
ヌラヌラと赤黒く濡れた大剣が二本、腰ベルトを付けた状態のまま、井戸端の木台に立て掛けられている。
「剣の手入れをしながらでいいか?」
「あ、はい……」
ノスリは重そうな剣を鞘から抜いて台に乗せ、桶に汲んであった水で洗い始めた。
「このパォは、里の『命の始まりの力』が交差して、強いエネルギーが働く場所に建っている。大昔に産屋があった影響らしい。強い力だから、無垢な者が引っ張られる事もあるのだろう。あまり深く気にしなくてもいい」
洗われた水が足元に滴って薄赤の水溜まりを作る。
少年は「はい……」と生返事をするが、そちらに目が行って話が頭に入らない。
執務室メンバーに魔物を斬った剣の手入れを頼まれる事はあるが、それらとは全然違う。あまりに生々しく、まだ熱を帯びているかと思える、闘いの残り香を漂わせる刃物……
「これから、他言してはいけない話をする。執務室で話題にしてもいけない。ホルズやリリと二人きりの時もだ。聞く前とまったく同じに振る舞わねばならない。約束してくれるなら話を進めるが……聞かずに帰る選択肢もあるぞ」
少年は、口を横幅いっぱいに結んで頷いた。ここまで来て何もなしは嫌だ。
ノスリは血糊を落とした刀を、研石の上で滑らせ始める。
「何の血だと思う?」
「ええっと? ……ワルイヤツ……?」
「そうだ。お前が言っていたように、草原に悪い奴が忍び寄っていた」
「ええっ」
「心配するな、もう片付いた。力で来るモノ
は
そう怖くない。お前達の代の長殿は、歴代最強の術者だ。何が来ても概ね一撃で退けられる。今回もそうだった、安心していろ」「…………」
「今朝方、追い掛けていた残党が三方に散ったから、リリに援護を求めただけだ。この手紙は俺が送った物だよ」
足元の水たまりは結構な量になっているが、よく見るとその場所は、しょっちゅう同じ作業をやっているような跡があった。
少年は目をパチパチさせる。
リ、リリさんも、こんな風に剣を血に塗(まみ)れさせて闘うの?
このヒトだってこんなお爺ちゃんで、とっくに引退して、のんびり隠居をしていると思っていた……
「あの、里にも軍隊ってありますよね。うちの兄達も兵士に登録していて、たまに畑仕事を休んで訓練に行くんですけれど、そんな話聞いた事ないです」
「軍の長(ちょう)はホルズだ。奴の判断に任せているが、実質知らせていないんじゃないかな」
「軍隊の意味ないじゃないですか」
「あるぞ。草原内で起こる争乱や盗賊の討伐なんかには、きちんと出動しているだろう?」
「じゃあ今回は何で知らせないんです。近くの村の護衛だって必要だと思います」
「危ない場所にはナーガが結界を張っておく。今回は棘の森付近だったので、夕べの内に主殿に話を通しておいた。軍隊の役割は無いな」
「信頼していないんですか、兄達も誇りを持って勤めているのに」
「誰かが死んだらどうする」
「ぇ……」
「草原の外から来た力の分からないモノと 里の大切な民を闘わせるなんて 怖い事出来る訳ないだろ。ナーガの術で済むのに」
「力の分からないモノなら、長様の術で済まない場合だってあるかもしれないじゃないですか」
「そんな敵が存在したら、それこそ里の軍隊じゃどうにもならん」
「…………」
「ああ、別にお前さんの兄上を貶めている訳じゃないぞ。そういう働きをしてくれる者がいるから、我々はこちらに専念出来る。適材適所って奴だ」
「えっと、じゃあ、せめて知らせるくらい……」
「だから何の為に? 皆を闇雲に不安がらせたって、誰の得にもならないぞ」
「…………」
「草原は平和で、軍隊はたまに畑仕事の合間にちょっと出動する程度。そんなのどかな状況だから、皆安心して暮らしていられる。それがナーガ長の一番に望んでいる事なんだ。外から来るモノだけに集中していられるからな」
「…………それって、結局、みんなを、欺いているんじゃ…………」
ノスリは剣を研いでいた手を止めた。
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