蛍の灯の下
文字数 1,781文字
竜を呼ぶのに大層な力を使うというのは本当だ。
それなりに消耗するし、後から想定外のダメージが追い掛けて来たりする。
宿舎のベッドに倒れ込んだシルフィスの手足は鉛のようだった。
(酒宴など冗談ではなかったな。早く切り上げさせて貰えて、確かに助かった)
だけれどこのふわふわした心地の好さは何だろう。
別に世界を揺るがす驚異と闘った訳でもない。ただ、呑気な旅行に同行して虫避けをしただけ。
(どんなに大きな竜を呼べようと、この世にとっては僕も、小さい存在のひとつに過ぎないんだろうな)
仰向けになると、半分開いた窓の向こう、樹上に白い物が見えた。
丸馬場に張られた天幕だ。宿舎は厩舎の側だったらしい。
馬達のさざ波のような息遣いが風に乗って入って来る。
高い枝に緑っぽい光がチラチラしている。蛍だ。
シルフィスの故郷にはいないが、蒼の里では少し見た。
森の清流が好きだという。さすがに密度が濃い、輝石を撒いたみたいだ。
ふと、蛍が散るように乱れた。
天幕の間に動く者? 気のせいではない、複数だ!?
剣を携えて宿の窓から飛び出した。
今、木から下りて来た人影が、物騒な物を持って走って来るシルフィスに怯んでいる。
昼間に森で会った青年団の三人だ。
「何をしている!」
「ひっ、いやいやいやいや……」
両手を上げて後ずさる若者の後ろ、幹のコブに細い足を掛けて、もう一人が下りて来た。
「待って」
驚きの人物だ。
「・・サザ!?」
「天幕の紐がほどけて垂れ下がっていたので、登って直そうとしたんです。そうしたら通り掛かったこの方達が手伝ってくれて」
娘は相変わらず表情少なに語る。
「君はどうしてこんな所に居る?」
「馬の様子を見に。今回初めて長距離を飛んだような子もいるし」
「ああ……」
確かにこの娘ならそうするだろう。
「お、俺らは、昼間っから天幕が緩いのが気になっていたんだ」
青年団の若者は、慌て気味に説明をする。
「こっそり直してやるつもりで来たんだよ。空模様が変わったから」
見上げると確かに、昼間とうって変わって夜空に積乱雲が湧き出している。
「こっちでは降らないとは思うんだけれど、念の為だよ。蒼の里の草の馬に俺らの村で風邪でもひかせちまったら、不名誉だろっ」
「他の奴に言わないでくれよ、女に媚売ってるとか、からかわれたくないんだよ」
「はい、言いません。ありがとうございました」
地味なのに何だか迫力のある娘に頭を下げられ、若者達は念を押しながら去って行った。
残ったサザと、仏頂面の竜使い。
では、と去りかける娘に、シルフィスは言おう言おうと思っていた言葉を吐いた。
「あのさ、クジ、当たったよね、君」
そう、クジが回されていた時、誰が当たっても関心が無いという顔をしながら彼は、最後尾の彼女まで当たりが残っていてくれる事を願っていた。
果たして、赤い一本は、最後の彼女の所まで届いた。
自分でも阿呆みたいだと思いながら胸が踊ったのだ。
「はい、しかし私ではお役に立てないでしょうから」
サザは即座に、クジを前の方の娘に譲ってしまった。
確かにそうだ、彼女の役回りではない、そういう馬鹿をやる娘ではないのだ、合理的だ、その通りなのだ……
娘は怪訝な表情で、押し黙るシルフィスを見て、改めて挨拶をして踵を返そうとした。
「竜! ・・竜に乗せてやろうか!?」
引き留める台詞の唐突さに、娘は困惑の眉を寄せて振り向く。
「なぜ?」
「笑っていたじゃないか。最後尾から竜を見ながらニコニコしてた。好きなんだろ、竜」
「好きは好きです」
本当に最低限しか答えてくれない娘の前で、シルフィスは口をパクパクさせる。
どうやったらこの娘と会話を弾ませられるんだ。
サザは少し下を向いて、言葉を続けてくれた。
「そんなに、笑っていましたか」
「あ、ああ、まるで、花の」
「??」
「いや……」
「そうですね、馬が」
「うま?」
「父や叔父が精魂込めて編んだ草の馬が、あんなに大勢、綺麗に隊列を組んで、空を映した湿原の上を」
「……うん」
「その周りをドラゴンが飛び回っているなんて、夢みたいな光景じゃないですか」
藍の瞳が三日月のように細まり光を凝縮させる。
――ああ、まただ
花が 花が
こぼれ落ちる・・
「竜に乗せて貰えるんでしたら、小さい子を乗せてやって下さい」
そう言って娘は、蛍の漂う中を静やかに歩いて行った。
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