それ、喜んでいいですか

文字数 2,192文字

   

「では質問だ。お前に欲はあるか?」

「えっ、欲?」
 唐突な問い掛けだが、少年はノスリの前で、素直に考え込んだ。
「早く名前が欲しいとか、そういう欲の事ですか?」

「そうだな、もっと単純に、朝いつまでも眠っていたい、美味しい物だけ食べたい、とか」
「そういうのも入れたら、限りなくあります」
「さて何故それに従わない?」
「いやいやダメでしょう、欲望のまま寝てるとか美味しい物独り占めなんて、めっちゃ恥ずかしいじゃないですか」

「それだ」

 ノスリが真顔で重々しく言って、少年はキョトンとした。

「恥ずかしいと思う心が大切なのだ、偉いぞ」
「え、その、当たり前……ですよね……?」
「ヒトの心から当たり前の『恥ずかしい』が無くなって、みながみな責任を放棄して楽な事ばかりやりたがる。そんな世界だってあるんだぞ」 

「へ……誰も仕事に行かないの? まさか、社会が成り立たなくなりますよね」

「だろう? でもあるんだ、草原の外には幾らでも。だから社会が機能せず、貧しく争いばかり起こっている。それではダメだと分かっていても、目先の欲に簡単に負ける。皆がそうなって流れが出来てしまったら、逆らって泳ぐのはとても難しい」

「…………」

「悪い奴の立場になって考えてみろ。暴力で殴りかかるより、そういう方向へ導いてジワジワ社会を蝕む方が、安全に相手の力を削いで行けるだろう。しかも直ぐには分かりにくい、気が付いた時は手遅れだったりする。そちらの方が怖い、ずっと怖いんだぞ」

「い、いるんですか、そんな事する奴? 術とか武力じゃ防ぎようがないじゃないですか」

「そこで最初の『恥ずかしい』に戻る。民に余裕を持って安心に暮らして貰えば、子供達に、当たり前の『恥ずかしい』や『思いやり』を育んでやれる。里や草原の民がそうやって『内側の護り』を固めてくれているから、ナーガは力の護りに専念していられるんだ」

「…………」

「お前達がしっかり恥ずかしい事を恥ずかしいと思ってくれるのは、千本の剣と同じくらい頼もしい事なんだぞ、もっと誇れ」

「はい……」

 少年は神妙な面持ちで頷いたが、胸中はまだ納得していなかった。
 限られた人達だけが見えない所で闘っている。あんなに腕の細いリリさんも。
 それは、皆に安心に暮らして貰う為。悪い誘惑に負けぬ社会を育てる為。
 ……理屈は分かる、分かりはする、でも……


「ああ、つい長くなってしまったな。執務室にメンバーが出勤して来る頃だ。ご苦労様、今日の仕事に戻ってくれ、シルフィスに宜しくな」

 そう言って、ノスリは背を向けて、剣の手入れに戻ろうとした。 
 しかし、去りかけた少年は、山茶花林の入り口で立ち止まってノスリを振り返っている。

「どうした」
「そういう話をしてくれるって事は、僕、そろそろ名前を貰えるんでしょうか」
「そう急くな、早ければ良いって物ではないぞ」

 また同じ言葉かと、少年は諦めかけたが、前長様の一拍置いた独り言を聞き逃さなかった。

「名前の事はなぁ…… 最近『名付けの反落』なんて妙な噂も囁かれているから……」 

 ハンラク? なにそれ?
 でもここで「反落って?」と聞くと、また答えを貰えない気がする。

「ああ、反落ね。ぶっちゃけ僕はどっちに転ぶと思います? 悪い方かな、良い方かな? ね、ノスリ様」
 嘘は言っていない、よしオッケ。

「いやいや、ただの噂だしな。けど、『名前を貰うと術力の伸びが止まっちまう』なんて事態が本当に起こったら、嫌だろう?」

 ノスリのさらりとした言葉は、少年には初耳で、衝撃だった。
 驚きを表に出さないよう、唇の震えを抑えて、軽い感じの声を出す。

「僕は、良い方の噂、だったら、いいのにって、思います。ほら、あっちの……」

「ああ、あっちは稀だ。『拝名した途端ヒトが変わったように術力が発現するパターン』な。そんな特殊な奴は俺が知っている限りでは片手に収まる。
 どっちにしたって、拝名が切っ掛けかどうかなんて証明出来る物は無い。たまたまかもしれんし、ほとんどの者は、拝名の前後の術力なんて変わらない。女性に術力の高い者が少ないから、そんな説を誰かが唱え出して尾ひれが付いちまっただけだ。眉唾だと俺は思うぞ。
 しかしホルズの耳に入っちまってな。一生に一度の機会だし、やり直しは利かない。ただの噂だと分かっていても、奴が慎重になるのは仕方がないんだ、理解してやってくれ」

 少年は眉を寄せて聞いていたが、ノスリが話し終わってから、一拍置いて口を開いた。

「あの、これ聞いたら戻りますんで、もう一個だけ」
「うん?」

「僕の拝名をピシリと止めたのはリリさんです。それ、……喜んでいいですか?」

 前長は、大きな肩をヒクと震わせたが、すぐに穏やかな表情を作り直した。
「ははは、あいつがか。うん、そうだな、喜んでいいぞ。うん、そうか、うん」

 ――勘の鋭いリリさんが止めたという事は、多分『まったくの眉唾』でも無いのだろう。そして、ホルズさんともども、『彼』の顔を思い浮かべている。里一の剣士でありながら、何故かまったく術力の伴わない、ユゥジーンさん……


「じゃ、行きます、色々ありがとうございました」

「あ、あのな」

「はい?」
「剣を、習う気は、あるか?」
「……」
「無ければいいが」
「こんな小さな身体で、剣を習う価値なんかあるんですか?」

「ある。習っておけば、この先どちらへ転んでも、選べる道が増える」




 
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登場人物紹介

シルフィスキスカ:♂ 風波(かざな)の妖精。 海竜使いの家系。

遠い北方より蒼の里へ、術の勉強に来ている。ユゥジーンちに居候。


リリ:♀ 蒼の妖精。 蒼の里の長娘。

術の力はイマイチで発展途上。ユゥジーンとは幼馴染。


ユゥジーン:♂ 蒼の妖精。執務室で働く。

過去にリリにプロポーズした事があるが、本気にされていない。

ホルズ:♂ 蒼の妖精。執務室の統括者。

頑張る中間管理職。若者に寛容だが、身内には厳しい。

ピルカ:♀ 蒼の妖精 ホルズさんちの末っ子

女の子達のリーダー格。

サザ:♀ 蒼の妖精  物造りコミューンの娘。

用心深く無口。乗馬姿が美しい。


プリムラ:♀ 蒼の妖精 ピルカと同い年

気が強く、相手を言い負かすまであきらめない。

ポラン:♀ 蒼の妖精  ピルカ、プリムラとは従姉妹どうし。

気遣い上手。皆のお姉さん的存在。

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