出発の朝
文字数 2,160文字
「はぁ? 何だってそんな事に!?」
朝、馬繋ぎ場でホルズが声をあげた。
何と、今日という日にピルカが熱を出して寝込んでしまったと言うのだ。
「先週から風邪気味だったのよ。なのに皆の為って無理して駆けずり回ったから」
ピルカから預かった名簿をホルズに渡しながら、ピルカの四つ上の姉が眉を寄せた。彼女は既婚者で参加しない。
「最後まで行きたがっていたけれど、病気はしようがないじゃない。あちらの方々にうつしても大変だし。お父さま、絶対に責めたりしないでね、地の底みたいにヘコんでいるんだから」
「あ、ああ……」
「大丈夫よ、従姉のポランや他の娘(こ)だって意外としっかりしているし。護衛の方もいらっしゃるんでしょ?」
「…………」
他人事のようにシレッと言う娘を前に、ホルズの背中を嫌な汗が流れた。
ホルズは基本、親族の女性連合にはノータッチだ。彼女達には代々引き継がれている女性だけの不可侵なルールがある。
ピルカは未婚の娘達のまとめ役として普段から大活躍しているのだ。
その彼女がいなくて、しかも……
「ずいぶん多かぁないか?」
「お友達がお友達を呼んで増えちゃったみたい」
変わらずシレッと言う姉娘の後ろでは、かしましく動き回る顔、顔、顔……ザッと三十人はいる。
確かに、ノスリ家贔屓にせぬよう、里内に『お知らせ』は撒いた。
だが、明日出発と言われて泊まりの旅行に出て来られる娘が、こんなにいるとは……
夕べ里のあちこちで親の説得で修羅場になったり、水あみ場の順番やリボンの貸し借りで阿鼻叫喚になっていた事を、ホルズは知らない。
「あんた、大人気ね」
執務室前のデッキで、下の広場を眺めてリリは放心して言った。
隣では風波のシルフィスキスカが口を結んで、眉を八の字にして突っ立っている。
その肩をポンと叩いてユゥジーンが、「まぁ頑張れ」とささやいて、自分の仕事に出掛けて行った。
「リリ……」
さすがにすがるような声のシルフィス。
「だ、大丈夫よ、往復一緒に飛ぶだけだもの。どうせノロノロとしか飛べないんだから、周りで竜をグルグルさせているだけでいいんじゃないかしら」
「でもリリ、彼女達の目的はおそらく『自分だけが抜きん出て僕に構って貰う事』だ」
「……そうね」
「手間のかからない良い子にしていては構って貰えない。そんな娘三十人を引き連れてトンボの中へ突っ込んで行けって?」
「…………」
リリは労(いたわ)しい目で深海色の青年を見た。頭が回り過ぎて楽観的になれないのも気の毒なものだ。
***
「二頭ないし三頭並馬で隊列を組め。遅い者は前の方に、速い者ほど後方へ。竜は湿原に入る直前に呼ぶので、それまでは馬で護衛する」
シルフィスは一応皆の前で言ってみた。
多分あまり通じていない。
嬌声を上げるか、「ニトーヘイバってナンダッケ?」「あたしザーラの隣は嫌」などと囁き合うだけだ。
ピルカがいたら素早く仕切ってくれただろうが。
(誰か助けてくれ……)
ノスリ家の年長の者達に一所懸命言い含めていたホルズも、執務室にメンバーが出勤し始めると、シルフィスに手を合わせながら坂上へ走って行った。
「で、では出発……」
自分の鈍色(にびいろ)の馬に跨がって飛び立つ素振りを見せても、娘達は「鐙の長さが変――」「お手洗いに行った子が帰って来ないわ」「ピアス落とした!」などと出発する気配がない。
シルフィスの故郷では、乗馬は男性のみが厳しい教練の上で行う。
だからこの現象をどう扱っていいのか分からない。
少なくとも、女性に馬に乗るのに向かない者が多い事は分かった。
高空気流まで平気で飛び上がるリリしか見ていないから、知らなかった。
こんな者達にも馬を与えて教育しているとは、蒼の長殿は随分と無駄な事をなさっている……と思った。
風波(かざな)なら馬術教官の前でこんな体たらくをさらしたら、「本日の教習は中止」の一声で終わり、全員食事抜きで一室に詰め込まれて一晩反省させられるだろう。
本当に中止って宣言してみようかなと思い始めた頃、旅行には参加しないピルカの既婚の姉が、ツツと寄って来た。
「気にせず出発しちゃえばいいですよ。あの子達ヒトを待たせるのは何とも思わないけれど、『置いて行かれる』のは大嫌いだから。あと『本当に行きたい子』もいるので、見分けてあげて下さい」
彼女の視線をたどると、きちんと乗馬して馬をなだめながら、辛抱強く待っている一団がいる。
ゴチャゴチャの中に紛れて気付かなかった。
衣装には細かい刺繍が施され、鞍袋はパンパンだ。愛用の道具や作品が詰まっているのだろう。『手芸技術の交換会』という本来の目的の為に参加した、いわゆる『手芸ガチ勢』も存在したのだ。
確かにこの娘達は可哀想だ。自分も教習時代、レンタイセキニンって奴が大嫌いだった。
(うん、彼女達を基準に行動してやるか)
やっと要領を得たシルフィスは、その数騎ばかりの娘達を手招きで呼び寄せ、「出発」と叫んで飛び立った。
『本当に行きたい子達』は即座に隊列を作って着いて来る。
下では「ええ――」「待って――」「きゃ――鐙が鐙が」とか言いながらも、バラバラと飛び立って来る。
なるほどこれで良かったのか。
(それにしても……)
出だしだけでコレとか、この先不安しかない…………
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