朝の厩にて
文字数 1,894文字
風の妖精は皆馬好きだが、蒼の一族は殊更(ことさら)だ
でも自分だって風波(かざな)の中では馬に愛着を持っている方だと、シルフィスは思う。
現に、早く目覚めたこんな朝は、自馬の顔を見る為に、厩に足を運んでいる。
そう、馬の顔を見たいだけなのだ、馬の顔を。
修練所の前を通り過ぎて浅い小川を渡ると、里裏から回り込む形で、主厩舎のしんがり部分に到着する。
こちら側の最端に入れられているシルフィスの馬は、主を見ると嬉しそうに首を伸ばして来た。
海洋生物を彷彿させる鈍色(にびいろ)鱗に覆われた風波の馬は、蒼の妖精の草の馬と逆で、乾燥に弱い。
馬事係にそう伝えると、川に一番近い馬房に入れてくれ、樋(とい)を通して新鮮な流水路まで作ってくれた。手厚い。
シルフィス本人の宿舎に関しては雑だったのに、馬への処遇は素早い所は、何というかつくづく風の末裔の一族だなぁと思った。
馬の首を掻いてやりながら通路の奥を見やると、中央の詰め所で馬事係達が整列して朝礼のようなものを行っている。
執務室は困惑してしまう程ゆるいのに、こちらの雰囲気は風波に近い。
ただ、馬の数は風波よりも格段に多い。七歳以上の一人に一頭、馬が宛がわれるからだ。
主厩舎は、細長い建物が蒲公英(たんぽぽ)の葉のように放射状に広がっている。
一辺に五十~百の馬房、それが八棟。一見土地の無駄遣いに見えるが、実はとても理に叶っている。
中央の丸い敷地に馬事係の詰め所があり、昼も夜も当番が八方に目を光らせている。
どの馬を誰が連れ出しているのか一目瞭然だし、何かの手違いで見落とされる馬も生じない。
老練の親方クラスともなると、僅かな呼吸音や匂いで即座に異変を感じ取れるという。
修練所の子供が掃除罰でよく寄越されて来るが、絶対にサボれない。ここで悪態をかますと、馬命(うまいのち)の大人達を本気で怒らせ、時として深刻な事態を招くからだ。
シルフィスも最初ユゥジーンに、馬事係には絶対に逆らうなと、入念に言い含められた。
馬事係と一口に言っても、生産に携わる『編み家』と呼ばれる家系を頂点に、調教、管理、馬術教育等が、縦割りピラミッドになっている。
長殿も全幅の信頼を置く技能集団だが、頑固で保守的、独自ルールが厄介だと、ホルズ殿は言っていた。
その辺も風波に似ているな、と思う。
基本世襲制だが、身内でガチガチに固めている訳でもない。
馬が好きで大好きで、小さい頃からちょろちょろ出入りしているような子供は大人にも気に入られ、修練所の修了と同時に正式に採用されたり、養子に入ったりもする。
まぁどちらにしても、馬第一主義のガチギチ集団である事は間違いない。
馬の主が嫌われてもトバッチリが馬に行く事が絶対にないのは鉄壁の安心感だと、リリが言っていた。
「おはようございます」
詰め所の方を眺めていて、背後からの女性の声に、シルフィスは飛び上がった。
朝っぱらからこんな所に居る女性……
喉まで上がる動悸を頑張って隠し、涼しい顔を作って振り向く。
「おひゃよう」
噛んだ。
しかし立っていたのは、予想した人物とは違った。
「すみません、サザじゃなくて」
うさぎ頭のピルカが、高く結った髪をピョンと揺らしてお辞儀をした。
「あ、いや、別に、何も」
「あからさまにガッカリな顔をされましたよ。隠していたいんなら、気を付けられた方がいいと思います。馬事係に知られたら、それこそ出禁にされますよ」
「…………」
旅行から帰って以来、一言も口にしていないのに、誰が目当てだとか何で分かるんだ。
ホルズ殿や執務室のメンバーは、常々、ノスリ家女性陣の察知能力の驚異を語っていた。
その中でもピルカは特に油断がならないと。さすがあの独身娘達をまとめあげているだけある。
突っ立って無言のシルフィスに、うさぎ頭はもう一度ピョコンとお辞儀をした。
「遅くなってしまったけれど、旅行の護衛をありがとうございました。そして私の健康管理の不手際で、余計な負担をお掛けしてしまいました。ごめんなさい」
押しが強いだけじゃなく、こういう所もちゃんとしているから皆の頭に立っていられるんだなと、シルフィスは素直に感心した。
「いや、こちらも良い経験をさせて貰えた」
これは本心。
「そう言って頂けると嬉しいわ。中々お礼を言える機会が無くて、ユゥジーンさんちに行ったら、こちらへ回ったって教えて貰えて」
「えっ、わざわざ礼を言いに来てくれたのか?」
ここで娘は、罰悪い表情をした。
「はい、……いえ、正直に言うと、もうひとつ用事がありまして」
「うん?」
「あの、取引きしませんか?」
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